パチンコは国民的なレジャーであると言われているが、最近では「パチンコAKB48」なるものの宣伝がやたらとメディアで目につくようになってきた。何でもかんでもパチンコにしてしまうとは面白い日本の風潮だ。


 ところで私はパチンコはほとんどやらない。ほとんどというよりか、生まれてから数えるほどしか経験がない。まったく興味がわかないのである。

 なぜやらないのか。パチンコというギャンブルはダメとかいう前に、パチンコをすることがつまらないからだ。遊びとしても喜びを感じないからだ。

 第一にパチンコ店の環境そのものが劣悪である。あれだけの人混みと騒音の中、狭い椅子に長時間も座ってパチンコを打っていること自体が苦痛ではないか。


 世の中にはパチンコ好きな人々もいるし、これは別に個人の趣味の領域なのでとやかく言うつもりもないし、声を大にしてパチンコ批判をするつもりもないが、パチンコが一大産業としてもてはやされる、日本の現状についてはどうかと思う。

 高田馬場駅で街頭活動をする時など、朝早くから若者がパチンコ店の前に大勢列をなして開店を待っている姿を見ると、本当にこれでいいのかと暗澹な気分になってくる。


 だいたいパチンコがギャンブルとして流行っている国は日本ぐらいだとも言われている。アメリカやヨーロッパなどでは誰もパチンコなどやらないし、そもそも街にパチンコ屋などは存在しない。

 パチンコ関係者が海外進出をもくろんでアメリカ人などにパチンコをやらせてマーケティングしたところ、小さな子供以外は誰も関心を示さなかったという話がある。

 現在のパチンコの仕組みについては詳しくはわからないが、ちょうどスロッツマシーンのように当たりの出柄がそろうと大当たりで大量の玉が出てくるというものらしい。

 これでは技術や駆け引き(バカラやブラックジャックなどのカジノにある他のギャンブルでの要素)云々の前に、単なる運試しのジャックポットと同じではないだろうか。

 なぜにして、このようなものに大勢の人々が熱狂するのか理解に苦しむ。私の知らない部分でのパチンコなりの奥深さがあるのだろうか。誰か教えてほしいものだ。


 ただ、このパチンコについては最近では良い思い出がある。半年ほど前、冬の寒い季節、同僚の議員と出席した新年のとある会合の帰りのことだ。

 彼が急に腹が痛くなったということで、駅前のパチンコ屋のトイレを借りることになった。私は一人店内で待っていたが、時間がかかるのかトイレが混んでいたのか、なかなか連れが戻ってこなかった。

 退屈だったので500円を入れてトイレ脇のパチンコ台を試しに打ってみた。するとほんの数分後に当たりが揃って玉がどんどん増えていった。まもなく彼がトイレから戻ってきて、その光景に驚いていた。すると当たりが、また続けて出た。これならば楽しい。

 ただいつまでこうしているわけにはいかないので席を立って精算をした。連れの話だとまだ一時間くらいは当たりが続くということだが、きりがないので中断することにした。

 結局、そのトイレ待ちの当たりで、その次の2軒目の呑み代くらいは儲けてしまった。これは偶然なる幸運だった。そして、その日から現在まで私はパチンコには行っていない。


 ギャンブルにおける鉄則とは、「勝ち逃げ」である。