前回のブログで「トータル・リコール」を引き合いに出して、「リアル」と「バーチャル」について考察してみたが、内容が複雑なので上手に文章としてまとめきれなかった。(未熟です、、)

 ある人から、「現代社会の環境がバーチャル化していくと、なぜ資本主義のシステムが崩壊するのかまったく理解できない」との批判を受けた。さもありなん。あまりにも飛躍した論理構成だったので、表現としては無理が生じてしまった。申し訳なく思います。改めて噛み砕いて記述していきます。


 まず現存の資本主義の発展は何を基礎にして、何によって支えられているのかという問題から考えたい。当然、資本主義の基本的な記号とは「貨幣」であり、その発展へのエネルギーは人々による「消費」である。ここまでは当たり前の話。それでは「消費」は何によって突き動かされるのか。それは人々のあくなき「欲望」である。無欲な人はあまり消費活動に走らない。これも当たり前の話か。


最初は人々による消費といえども、生理的な欲求からくる「リアル」そのものに対する消費が主流であったのだろう。「お腹がすいた、食べ物が欲しい」「寒いので温かい毛布が欲しい」とかだ。

 それから人々は生活における利便性を消費により追求したことだろう。「移動のために自転車が欲しい」「倒れない家に住みたい」「暑いのでエアコンが欲しい」とかだ。

 そして多くのことが満たされると、他者との差異化を求めて付加価値の付与されたものへと消費は向かっていく。「きれいな洋服が欲しい」「高級外車が欲しい」「ジュエリーが欲しい」とかだ。

 さらに高付加価値化が進んでいくと、より「リアル」な実態から乖離した方向へと消費は向かっていくようになるだろう。「高級会員制のレストランでディナーを食べたい」「限定品のブランドモノが欲しい」とかだ。

 

 ボードリアールの言説を引き合いに出すまでもなく、人々は新たに付加価値を付けられたものへと欲求を肥大化させて、さらなる消費活動へと邁進していく。逆から見れば、多くの人々(消費者)に次から次へと消費への欲望を植え付けていかないと、資本主義のシステムが成立しなくなるのである。

 そして矢継ぎ早にテクノロジーの進歩が進まないとするならば、人々の新たな欲望は、新たな高付加価値化によってしか掻き立てることは困難なのだ。

 しかし、この高付加価値化された商品やサービスの消費は、「リアル」の地平から離れすぎているので、いとも簡単に「バーチャル」な代用品によって取り換えられてしまうことが可能だ。そこに見えないスキが潜んでいたのだ。

 最高級なローレックスの腕時計でも、数万円も出せば素人ではまったく見分けがつかないような精巧な偽物に取り変わられるというものだ。

 製品だけでない。バーチャルな環境がどんどん整備されていけば、体験や思い出なんかも別に「リアル」ではなくて「バーチャル」で代用できてしまう。


 情報環境に目ざとい若者の一部は、もうすでにこの事実に気が付き始めている。人々の欲望を無理な消費活動に駆り立てるだけの高付加価値商品などは、もういらないということに気が付き始めている。

 お洒落な部屋に住み、高性能の新製品やブランド商品に囲まれて、都会的な洗練されたライフスタイルを満喫したいなどと思っている人は、それこそ田舎から上京してきた時代遅れのイモねいちゃんくらいしか存在しなくなっている。


 くだらない差別化のための消費などバカバカしい、それならばバーチャルな欲求満足で充分ではないかと、誰もが薄々感じ始めているのだ。それならばリアルな消費、本物志向、実態をともなった消費を、あえて追求すること自体がバカバカしい。そのために多大なお金、それを稼ぐための多大な時間や労力など、あほらしくなってくるのも当然と言えよう。

 別に本物の消費、本物の体験でなくても、それこそ「トータル・リコール」でも良いのではないのか。


 ゆえに、バーチャルが発展すればするほど、誰も一生懸命に働いて、お金を追い求めて、そして消費活動に邁進するという無駄な行為を避けるようになる。

 これでは資本主義のシステムが危うくなっていくのも明白ではないだろうか。