先日、私の似顔絵を描いてくれた人にお礼をした。この似顔絵はよく描けており、私の仲間の女性議員などは大爆笑をしていた。


 お礼と言っても、お礼のお礼という感じのものだった。たまたまその前日、ある政治関係者のために選挙用のキャッチフレーズを考えたこと(私は案外コピーライターの才能があるのか!?)のお礼として、商品券を10000円分もらった。

 その日はとても暑い夏日だったので、伊勢丹でタオルを買って、その残りをイラストを描いてくれた人に、お礼としてプレゼントしたのだった。


 その人、かりにNさんとしよう。今日久しぶりにNさんに出会った。Nさんは何か恐縮した様子で、「こういうのは困ります」とはにかみながら言ってきた。こっちとしては随分以前のことなので、もう忘れてしまっていたが、日本人とは何とも真面目な性格の国民なんだろう。

こちらは思いがけないラッキーに、そして明るい笑顔にこそ、何らかのお礼をしないと逆に気がめいるというものだ。人間としてごく自然な感情だろう。

 こういうプレゼントを何か特別なものとして考えてしまうのだろう。よく海外旅行をしている時、私は特別に嬉しいサービスをされた時や、ちょっとした楽しい気分に出くわした時など、10ドル程度のチップやプレゼントをしたりする。日本に帰ってきて、その癖が抜けないで喫茶店などで1000円とかチップとして差し出すと、きまって怪訝そうな態度に出られる。

 風習とか国民性とかの違いだろうか。日本人はこの点について堅苦しい。そのくせに何ら関係のない「交通遺児育英募金」とか「恵まれない難病の子供のため」とかの募金には、いささかの疑問もなくお金を差し出したりするのだから、とても不思議だ。


 ラッキーは自分の嬉しい人、かかわりたい人には、どんどん与えよう。いずれラッキーは利息を付けて戻ってくる。世界はラッキーに満ち溢れている。何だか映画「ペイフォワード」のような話になってしまった。

 日々のラッキーを大切に感謝しよう。だいいち、私もNさんも、そしてこのブログを読んでいるあなたも、一か月後は死んでいるかもしれないのだから。



 このブログを読んでくれたら、ぜひ感想でも送信してほしいものだ。たぶん明日も晴天だろう。