「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」、これは私が子供の頃から好きな言葉である。私も含めて多くの人々は、自らの経験から様々な教訓を学んでいく。中には経験からも学ぶことのない大馬鹿者もいるが、ここではおいておこう。

 

 経験から学ぶことも大切だが、誰でも一生の時間は限られている。だから書物を手にして過去の歴史から学ぼうとするのだ。

 トレードでの罫線やら、戦争の物語やら、個人的な恋愛体験やら、人間の営みはたえずある種のパターンを繰り返していく。だからこそ、歴史という過去からのパターンを学ぶことが大切なのだ。


 歴史から学ぶといっても、これがなかなかに難しい。なぜなら頭では理解しても、現実的な実感として歴史的な事象を自分の身になって受け止めることが困難だからだ。

 想像してみてほしい。戦争映画などで家族が死んでいくシーンを見ても、ある程度の感情移入はできても、実際に自分の家族が死にゆく状況を現実としてはなかなか考えずらい。ここに盲点があるのだ。

 ましてや歴史上で活躍した人物の行動、たとえば織田信長の決断なんて、平穏な日常生活に埋没している状況では的確に実感できるはずもない。


 しかし、たとえ実感できずとも、事象として知っているのといないのとでは、大きな差があるだろう。だから私たちにとって、歴史を学ぶことは必要なのだ。

 歴史といっても、政治関係者にお奨めなのは、「ローマ帝国の歴史」である。かの大帝国の興亡史には、政治、経済、文化、宗教、風俗、ありとあらゆるテーマが満載されている。しかも、ローマは現代の西欧文明(ということは、日本も含む現代の世界文明)の基礎であるのだから。