人々の生活を基本的な部分で支えるモノ、「食糧」と「水」の貴重さについて述べてきたが、今回は「水」について考えていきたい。


 食べ物がなくての人間はある程度の期間は生命を維持することができるが、水がなくてはすぐにでもお手上げになる。

 それは人間をはじめとする、地球上に存在するすべての生命の根源は水にあるからだ。水こそが、すべての鍵なのだ。

 そして実は水は少ない。私たちが海などを眺めると、ほとんど無限の量だけ水は地球に存在すると思いがちだが、これはとんでもない間違いである。

 実際には地球の表面に薄らと存在するにすぎない。地球という球体をバスケットボールに例えるならば、海の水などは「ボールの表面が少し濡れているかいないか」という程度でしかない。

 しかもその海洋でさえ、人間にはほとんどコントロールすることなどできない。


 穀物をはじめとする食糧を生産するために不可欠なものは、耕地と水である。そして耕地がいくら広大に確保されようが、水がなければ何も始まらない。

 前回はアメリカ中南部の干ばつについて書いたが、いくら耕地面積を拡大させても肝心な水が不足すれば不作になってしまう。そして水は工場で生産する類のものではないので、やはり自然の恵み、天候に左右されてしまう。ここが困ったところだ。

 しかもどんなに科学技術が発展しようとも、天候自体、地球の営みを人間の力でコントロールすることは、ほとんど不可能とさ考えられているのだ。


 水こそが、今世紀以降の世界にとって一番貴重な資源となるであろうとも言われている。すでに世界レベルでの水資源の争奪戦はスタートしている。

 幸いなことに日本の国は、水という資源に関しては世界でも類を見ないほど恵まれている。だから私たちの多くが、「水こそが貴重な資源だ」と言われても、なぜかピンとこないのも事実である。

 本当に日本の国は水に関しては恵まれすぎている。そして水に関する技術についても、「東レ」をはじめとして多くの国内企業がしっかりと保持している。これは素晴らしいことだ。

 そしてこの事実を認識しているか否かは、大きな違いである。