前回の人口問題では、「人口減少」の弊害とし、労働者人口の減少による生産力の低下を指摘する意見があることを述べたが、そもそも現在の日本において労働力というものは不足しているのであろうか。

 むしろ若者を中心として職がない、仕事がないという状況が顕在化しているのではないだろうか。これは日本に限らず先進諸国全般的に言えることだが、若者の失業率は増加傾向にある。

 日本などはニート、引きこもりという特殊事情で失業率自体はさほど高くないが、潜在的な失業率はけっして低くない。

 労働力自体はむしろ充分すぎるほど足りている。むしろ足りていないのは、「優秀なる労働力」なのだ。


 かつての労働集約的な産業社会とは異なり、現代の日本では単純肉体労働における労働力は必要とされていない。さらに情報化、IT化の進展により、肉体労働だけでなく単純事務作業における労働力も必要とはされない時代が到来している。

 工場で決まりきった作業をこなしたり、一般事務を時間でこなしたりという、単純労働力そのものが、もはや不必要なのである。そんな仕事はすでに人件費の安い海外へといってしまっている。


 それではサービス業はどうか。この分野は旺盛なる消費が継続する限りにおいては、必要とされる労働力は拡大していくだろう。だから世間では、仕事を得るためには「コミュニケーション能力」が大切であります、「コミュニケーション能力」を磨きましょうとか、盛んに大合唱している。

 「コミュニケーション能力」とは何か? まさか7ヶ国語を自由に使いこなせるような能力ではあるまい。ようするに「人に好かれる」「人にもてる」といった能力ではないだろうか。

 だが残念ながら、誰もがスマートで容姿端麗のはずはないし、陽気で社交的な性格を持ち合わせているわけではない。そもそも他人と接するのが、向き不向きということもあるだろう。そもそもこの議論には無理があるのだ。


 本当に求められる労働力とは、時代状況の急激な変化にも柔軟に対応できるような、グローバルな意味での優秀な労働力、能力のある労働力なのだ。

 たんなる平均的、もしくはそれ以下のレベルの労働力では、まったく使い物にならない時代にきている。


 私は昔から大学生などの若者に接する機会が多いが、最近とみに感じることの一つに「学生個人の能力差が拡大している」ということがある。

 大学に入学した時点で、かなりの教養や専門知識を備えていて、ある程度の留学なども経験して広い視野に立った優秀な学生と、現在までなんら目的意識もなく、飲み会だ、カラオケだ、バイトだと漫然と生活してきた学生との差異は明白である。

 20歳そこそこでこのような差が存在するのならば、25歳、30歳とライフステージが重ねた時点では、もうその能力の差はどうあっても埋めようがない。

 政府や自治体が盛んに実施している就職のための職業訓練なんてもので、埋まるような生易しい程度の差ではない。


 大切なことは、出生率の低下が労働人口の減少を招くと嘆くのでなく、少ない労働力予備軍の質を向上させていき、世界的なレベルでみても付加価値の高い労働人口を、いかに生み出していくかということではないだろうか。

 

 ゆえに教育は最重要課題である。