このブログで連載している「リスク」シリーズも後半にさしかかている。というのも、リスクに関しては書きたいことはいくらでもあるのあるのだが、これをこのまま続けていったら、それこそ一冊の本を書けるくらいなので、きりがなくなってしまう。だからここいらへんで一度まとめていきたい。


 将来に霧がかかっているような不透明な時代、いったいリスクを避ける、少なくともリスクを軽減するためには、何をするのが良いのか。何を頼りにすれば良いのか。

 もちろん、年金だとか社会保障だとか、政府などを頼ることなど論外である。企業なども同じ。現存のシステムに頼ることはできない。では、自分自身では何を頼りにすればよいのか。


 より確かなものとは。怪しい株より、確実な株、それよりも現金がよいのか。現金といってもしょせんは通貨なのだから、より確実な現物資産(金やプラチナ)がよいのか。それも本当に確実か?


 このように考えてくると、もはや有形のモノではダメなのか。すると無形のモノが重要になってくる。

 たとえば、人間同士の信頼関係とか。家族、近隣などとの間の絆とか。しかし、いくら信頼関係といっても、それは個々個別の問題であるので、すべて確実とは言えない。たとえ信頼関係が確固たるものであっても、その時その時のケースによっては心ならずとも裏切らねければならない状況に追い込まれることだってある。

 信頼関係がダメなら、信用ならばどうか。個々個別のケースにはとらわれない、広くいきわたった「信用」の方が確実か。いわゆる老舗のブランド力といったものか。これは権威にもつながっていく。

 確かに、日本の国中、いや全世界中が破滅の道のもとに大混乱に陥っても、天皇陛下を敬う人々、天皇陛下に物心ともに尽くす人々はいなくならないだろう。しかし、私たちは天皇陛下ではないし、天皇陛下になることもできない。


 結局、行きつく先は「宗教」という問題に行き着くのか。確かに、古今東西、人類の歴史を見ても,人々はその救いを宗教に求めてきたことは事実だ。しかし私は宗教家ではないし、この問題を掘り下げることは避けていきたい。


 本当に確かなモノは自分自身に帰属するモノでしかない。学歴、知性、健康、能力、人脈、良き習慣などなど、自分自身に帰属するものは、いかなるリスク社会においても消えることはない。

 その中でも、美貌は年齢を重ねることで衰える。健康ですら加齢には逆らえない。運動能力などの身体についても同様だ。そうなれば、やはり知性、教養、学、経験、芸術的感性というものが一番手堅い。


 結論としては、「リスクを恐れてリスクに対応する」ことよりも、「自分自身の学び、鍛練、切磋琢磨をしっかりと行う」というあり方が大切ということになる。

 なんと素直で前向きな結論なのだろう。すべて議論は当たり前の真理に立ち返るというものだ。

 しかし、私たちには確実に無くならないモノがもう一つ存在する。これについては次回へ。