現代社会における実際の状況と私たちが認知する感覚のズレ、このテーマをさらに進めていきたい。前回は移動手段を例にとって話をしたが、これが経済のことになると、さらに極端なことになってくる。

 紙幣によって表現される通貨(このこと自体がある種の実態をともなわない過度な信用創造の危険があるのだが)は、電子マネーという表現方法によって、さらにバーチャルの度合いは増していく。つまり現実には見ることもできない、そして実感することのできない「お金」という概念が、全世界における行動、人間の営みを支配するようになるからだ。


 私の友人があるFXトレードを行っている。彼はふつうのビジネスマンで本業とは別にトレードをしている。最初にスタートした時は100万円で始めた。それから順調に利益を出し続けていき口座の残高が増えていき、ある時に初期の投資額100万円を口座から引き出して、その後は単に遊びとしてトレードを楽しんでいた。よくありがちな話だ。

 彼のトレードは、その後も順調で次第に取引口座の残高は増えていった。数年が過ぎた。トレードは百戦百勝ということはない。勝つこともあるが、負けることもある。そのためか彼の取引口座も増えたり、減ったりしている。損している時には500万円くらい、儲けているときは1200万くらい、最近では1000万円近くをウロウロしている。

 ここで重要な事実。彼は携帯電話の画面上の口座残高を眺めているだけで、実際にそのお金を引き出して使うわけではない。そしてその意思もない。毎日の生活は本業の方でのサラリーで賄われているのだから。あくまでも取引口座の上でのお金はバーチャルなものなのだ。たぶん彼は将来にわたって、この口座から実際にお金を引き出すことはなく、楽しみながらトレードを続けていくことだろう。

 これはあくまでもささやかな個人レベルの話である。これがもっと規模の大きいファンドなどでは、どうだろうか。よくよく考えてみてほしい。

 もはや現代においてはお金も経済も、その実態からは遠くかけ離れた地点まで拡がってしまっている。


 そして、これは経済の問題だけでない。最近では、例の福島第一原発事故がいい例だ。誰も放射能の脅威を現実の実感として捉えようとはしていない。

 これが広島の原爆ならば、充分にその脅威は実感できたであろう。しかし現実はもっと悲惨だ。私は言いたい。「今回の原発事故での放射能汚染は、広島の原爆の数百発分に相当するのだ」と。

 この話を聞いた人は、みな一応に驚く。それだけ、現実と感覚のズレは広がっているのだ。