苦しみがなく生きるということと、楽しく充実して生きるということは本質的に異なる。どんなに苦しく辛いことがあろうとも、希望をもって頑張るという状況は幸せである。

 反対にさほど苦痛や嫌なことがなくても、のっぺりとして退屈な日常生活、さして将来への展望が描けない状況で、欲求不満ばかりをつのらせる時間は、ある種の残酷さを伴う。


 なんだか、日本の社会状況も、そこで暮らす個人の状況も、このような袋小路にはまっているのではないだろうか。特に若者にその傾向が強いように感じる。早くこのことに気がつかないと、ますます人も社会も現状に慣れてしまう。恐ろしいことだ。


 閉塞感といえば簡単だが、不思議とそのことに怒りすら覚えなくなる、これを「緩慢なる死」という。