驚くべき偶然なのだけど、最近3人の知人たちに同じように、このように言われた。ちょうどブログで「責任と選択」のシリーズを書いている頃だった。

 どのようなコメントかというと、「このブログは不特定多数に向けてではなく、私個人に向けて書いているのではないか」と。

 そもそも公に文章を発信している以上、個人的な、もしくはきわめて私的な表現は避けているわけだが、そのように感じる読者が存在することは、一人の表現者としては、こよなく名誉なことである。


 二人に言われた時には、そのように考えて、ひたすら自分の文章表現に自己満足していたのだが、三人目の話はとても胸につまった。自分自身の追憶が廻り、とても優しく切なくなった。

 この文章は絶対に私に向けて書いた文章だと断言された。その理由を具体的に尋ねてみた。日常生活での選択のところで、お昼に何を食べるかというところ、「とんかつか、ピザか、チャーハンか」という一節である。確かにその人の好物はその3つだった。よく二人で話した時のフレーズである。たまたま無意識のうちにブログの文章に書いたのだったが、その点を思い出して、その人は何かを感じたのだろう。

 とても不思議だ。人間の認識とは、結局のところは、そのようなものだろう。


 自分に向けて文章を書いているのだと語ってくれた人は、私にとってはすべて大切な人だし、たぶん私のことを好きな人なんだろう。

 そう考えると文章を表現することは、とても奥が深い。

 ありがたい話だ。