前回まで、選択にあたっての責任を考慮する場合、選択の決断は早すぎない方が良いという趣旨で議論を進めてきたが、選択による行動が遅すぎたゆえの失敗ということもある。

 主にそれは、現状を改革していかなければならないような時における、選択による行動の遅れがもたらすマイナスに現れる。つまり、問題の先送り、小手先の改革による中途半端、危機にあたっての思考停止といったところか。

 人間は誰でも保守的で、現状を変えていくことには躊躇しやすいものだ。それは個人ではなく、組織であるなら、なおさらである。組織の場合、メンバーの大多数のコンセンサスを得なければいけないので、個人の時よりもなおさら現状を変革しがたい。

 「小田原評定」という言葉を持ち出すまでもなく、多くの集団は危機にあたっての行動が遅れてしまう。


 本来ならば、現状が幾分かでも行き詰った時、どのような方向にでもよいから素早く変革のための選択を実行しなければいけない。

 巨大な津波がすぐそこまで迫ってきているのに、どちらに逃げようかと迷っている暇はない。どこでもいいから、現在の危険な地点から脱出しなければいけないのだ。


 しかし、これが頭で理解するのと、実際に体験するのとでは大違い。それくらい難しいことなのだ。

 虫歯が痛い。歯医者にいつかはいかなくてはと思っていても、当分の歯の痛みが和らいで消えていけば、人は急いで嫌な歯医者に行こうとはしないものである。


 政治の現場も同じ。税と社会保障の一体改革とか言っているが、これも現在まで問題を先送りしてきたツケが、廻りまわってきているだけだ。

 なんとかダマしダマしで、現状を維持できないだろうかという極めて甘い見通しで、政治の議論が進んでいることこそが、将来に大きなマイナスを与えるということがわからないのであろうか。

 それでは、日本の社会保障のどの部分が本質的な誤りなのか、次回以降書いていきたい。