新宿区議会議員という地方政治の場にあって、私は常に「現場主義」をモットーとしてきた。世の中で言われる政策的な一般論よりも、その地域地域の特性に合わせた現場での事情を優先することが大切であるからだ。

 公園、道路、放置自転車、ゴミの不法投棄などなど、しっかりと現場を確認しておかないと、適切な政策を考えることができない。

 そして、一地方自治体レベルでは、その街について全体を自分の足で歩き、その様子を自分の目で見て、多くの市民ニーズを自分の耳で聞くことが可能である。


 しかし、これを国政の場に当てはめるのはどうかと思う。国政の場にあっては、むしろ「非現場主義」こそ、大切ではないだろうか。

 当然のことながら、日本全国の状況を自分一人の力で正確に把握することなど不可能だ。そうすると、日常活動で自分が会ったり、見たり、体験したりすることに、ある種の偏りが生じてしまいかねない。つまり全体を把握しているつもりでいて、一部の特殊な事象に囚われかねないのである。

 だから、「現場」を重視するよりも、より客観的な統計、データ、数字(世の中には統計の嘘、数字のマジックという罠も多々あるが)といったものを重視した方が、より正しい政策判断が可能となってくると思う。

 区民ひとりひとりの声を新宿区政に反映させるとの考えは良いが、国民ひとりひとりの声を国政に反映させるなんてことはできない。

 貴重な一人の声であっても、全体からすれば特殊な声であるかもしれないし、それを確認しようもない。そして誰でも自分が受け止めた声や意見には、ある種の感情的な想いが付与されるものだ。これでは正しく進むべく道を判断することはできない。


 このことは、街にある一店舗ではその店を使うお客様の生の声が財産であるのに対して、全国レベルでの商品マーケッティングでは、あくまでも正確なデータが大切であることと同様だ。


 だから、地方政治では「現場主義」、国政では「非現場主義」が正しい。