今週、新宿区議会の予算委員会に参加して、各議員による多くの議論を聞いていると、「教育の社会化」が広く進展していることがわかる。特に民主党政権になってから、この流れが加速しているような気がする。

 子育て支援、高校の無料化、30人学級などなど、社会全体で子育てをサポートするといえば聞こえいいが、結局は「教育」「子育て」を家庭ではなく、社会「学校的なるもの」に移行させようとしているのだ。だいたい、子育て負担の軽減というのならば、なぜ扶養者控除をなくしていくのだ。

 この「教育の社会化」は良いのか悪いのかといえば、はっきりと悪い、まさに害しかないと断言したい。学校はあくまでも勉強、それも基礎学力を培う場であって、価値観や物の考え方を学ぶ場ではない。そうあってはならない。家庭こそが、その役割を果たすべき正当な場なのだから。

 この意見に異を唱える者は多くいると思うが、この問題だけは私は譲れない。何も「教育の社会化」自体が悪いと断言しているわけではない。現在の日本における「教育の社会化」がダメなのだ。なぜなら嘘とインチキに満ちているから。現在の公教育の現場で子供たちに示される様々な価値観、物の考え方は実人生には役に立たない、それどころか悪害になるものだからだ。

 よほど頭の良い子供でなければ、多くは失望のうちに社会で打ちのめされる。私たちの暮らす実社会は、陰険な悪意にばかり満ちているとは言わないが、多くの正当な競争や正当な評価に満ちている。

 多くのバカな子供たちは、自分たちが暮らしたインチキで欺瞞に満ちた「学校的なる世界」とは、まったく異なった力学で動く現実社会(しかし、実際にはこの恐ろしい実社会の方が、ある種の人々にとっては限りない魅力に溢れたフロンティアだったりするのだが)にぶち当たり戸惑う、そして幻滅する。

 私は「学校的なる世界」が大嫌いだった。そして、政治の場に身を置いた現在、この「学校的なる世界」こそが、日本人、いや日本全体を弱くしている、そして活力のないものにしている元凶であることが理解される。

 そして、現在、この「学校的なる世界」、そしてそれを体現する価値観は、学校の外へ、まさしく日本の社会全体へと浸食を始めているのだ。これに対しては断固として戦わなければならない。私の実存を賭けてまでも。それが未来に向けた、一政治界としての私の良心だ。


 とても抽象的な議論なので、ひとつ具体的な材料を用いて、わかりやすく皆様に考えていただきたい。一年ほど前に封切られた映画に「悪人」という邦画がある、深津リエの出ているヤツだ。これは映画作品としても面白いものなので、ぜひ一度観られた方が良い。もうDVDでもレンタルされているだろう。

 そして、この中の登場人物の誰が悪人で、誰が悪人でないのか、をそれぞれ考えてみてほしい。そこから、次の議論を始めよう。


 関係ない話だが、深津リエは、私が好きな女優の一人だ。「マジック・アワー」も彼女が演じる傑作だから、これも暇な人は観てほしい。