14日の日銀金融政策決定会合にて、国債などの資産買い取りのための枠を今までの55兆円からさらに10兆円拡大することが決定されたもよう。このこと自体は特段に悪い話ではないのだが、なんでこうもちまちまやっているのだろう。各国政府や中央銀行がこれだけ大胆な金融緩和政策を遂行している最中、あまりにもケチくさいのはないだろうか。もっと思い切りできないものか。躊躇せずにどんどんお金を刷りまくれと言いたい。

 まさか円自体の国際的な信用低下を心配しているわけでもあるまいに。もっと信用低下した方が、逆に「円安」に振れてよいのではないか。


 このように、どこまでも微調整をもって現状の事態の改善を図ろうとする。これが日本のだめなDNAなのだろうか。敗戦直前の大本営を思い出してしまう。今までの延長線上でこつこつ誠意をもってやっていけば、なんとかガタがきた世界をつなぎとめていけるという、浅はかで楽観的すぎる考え方。


 すべてを白紙状態にして、本質的な事柄から考え直せないから、こういう思考パターンに陥ってしまうのだろう。そもそも、貨幣なんて人間が発明したものにすぎないのだから、日本の社会が世界で優位に進むように考えればいいだけの話ではないか。

 

 だいたい、資産課税(財産税)なんかを検討するようりも、強力なインフレ政策を取った方が、世の人々はお金を使いまくるというものだ。なんでデフレ脱却できないのか、もう一度原点に立って考え直すべきだろう。


 人は社会のためには生きない。人は自分のために生きるものなのだ。世のために、人のために生きる者も、結局は自分の存在が延長拡大された意味での「社会」のために生きるのだ。

 ゆっくりと微調整もいいが、人ひとりでみた場合、人生は短い、そして人間の死亡率は100%である。というわけで、私もくだらない政府の金融政策にイライラするよりも、バレンタインの美味しいチョコレートでも味わおう。