
倉橋由美子さんが亡くなって、10年、という区切りとなる今年に発刊された、エッセイ集。
「最後の祝宴」
倉橋さんの作品に触れて、ちょっとした媚薬のようなものを嗅ぎつけて、もうちょっとだけ舐めてみたい、触れてみたい、、いや、、実はもっともっと奥深いところへ足をふみこんでみたい、、、
と感じた方にはとてもオススメの一冊です。
まず『作品ノート』という
「倉橋由美子全作品」の巻末に飾られた「作家が初期の各作品と自身の文学観を明確に語った貴重な文学論」が納められています。
倉橋さん本人が、自分が過去に生み出した作品ひとつひとつに対して、とても客観的、かつ、本人にしかわからない視点で、明瞭に解説し、時に批評しています。
自分が生み出した作品を自分で振り返る、という場合、なんだかウェットなものになりがちな気がしますが、倉橋さんにはそのようなものが微塵も感じられない。
上質な木材を、丁寧に乾燥させて水分を一切なくし、本来の上質な繊維だけになった「木」という素材を、パッカーーーンと、隣の村にまで響き渡る音を立てて割ったかのごとく、とても気持ちよく書かれている、という印象でした。
私も、まだまだまだまだ、読んでいない倉橋作品がたくさんあるのですが、古本屋街や密林の散策をしては、あれも、これも、読んでみたい、という気持ちがもっともっと膨らんでいます。
そして、数々の珠玉のエッセイたち。
お若い頃に書かれたもの、熟年期のもの、そして晩年のもの。
お若い頃のものは、こんなぼんやりと日常を送っている私には特に、それこそ、後頭部をピシャッ!とされて、それまで霞んで映っていた目の前の景色が、一瞬でもクリアになったかのような、そんな衝撃を受けるものがたくさんありました。
熟年期のものは、私は倉橋さんの次女と高校生からの大の親友なのですが、彼女と今まで過ごしてきた日々を振り返ると共に、お母様である倉橋さんが、母親であり主婦であり1人の女性として作家業を営んできたことが、自分もこの歳になって初めて気付く事柄もあり、なんだかとても感慨深く読みました。
そして、晩年のもの。
人生というものは木の年輪のようなものだ、と例えられますが、倉橋さんという人間はまさに極上のバームクーヘンなのではないかしら。
それを作り上げる工程に使われている素材やエッセンスには、類稀なる知識の数々に加えて、独特の千里眼と、暖かい人間味と、辛辣であり優しい飛び切りのユーモアが含まれていて、一切れでも口にすると、ニセモノのバームクーヘンは食べられないわ!
なんて言いたくなる、唯一無二な味わい。
晩年に書かれたものの中に
「タイトルをめぐる迷想」というのがあります。
このラストに、
『この世を舞台と見て、死ぬことは舞台から退場することと見極めています。』という一節があり、読んだ瞬間にはっっっ!!!となりました。

このブログでも少し前に書いた
ReneMagritte の展覧会でこの絵を見た時、なんだかその一節と私のイメージがシンクロして、部屋にポストカードを飾っています。
人生を終えるとき。
それは、暗転するのでもなく、幕が降りるのでもなく、自分が自分に与えられた役を終えて、すーーっとト書きにあるように自然にハケていく。
というのが、私にとって、ものすごく腑に落ちることだったのです。
ちゃんと、ハケよう。
今ではなせかキッパリとそう思うことができる、ような気がしています。
以上は、あくまでも私の個人的なこのエッセイの感想です。
私のつたない言葉だけでは伝わりずらいと思いますが、まだまだ、読みどころは山とあります。
もし、ご興味ございましたら、ぜひ、手にとってお読みいただけたら、幸いです。
倉橋由美子リーディング公演
『夜の入り口』ポポイ
11月12日(木)19時&22時
11月13日(金)19時&22時
粟根まこと、佐藤真弓、須賀貴匡、村岡希美
音楽と演奏は鈴木光介。
間に素敵なトークもございます。
秋の夜長にぜひ。
https://t.co/3VObMtA21g