「元国立大学准教授の夫と、
国立大学附属教員夫婦による、
頭も体も心も最大限に高める子育て」
我が家のオレゴン州での
子育ての日常をお届けします。
何か質問があればコメントへ!
ある休日、朝10時に、双子が「〇〇と遊んでくる」と言って、家を飛び出しました。
18時、まだ帰ってきません。
私は、ほんのちょっぴりの心配と、嬉しさと感動で、胸がいっぱいになりました。
日本に住んでいた時は、大型マンションに住んでいたので、周りは、子どもだらけ。
平日であろうが、休日であろうが、どんどんインターホンが鳴るし、お友達が、どんどん家にやってきます。
我が家は、いつでも誰でもウェルカムなので、常にお友達が何人かいるような状態でした。
ごはんも食べていってもらうし、お風呂もみんなで入っていくし、もちろん、お泊りだって大歓迎。
「遊ぶ人がいない」なんていう状況はなく、色々な学年も交じりながら、みんなで遊んでいました。
そして、子どもが3年生、1年生で渡米してから、状況が一変します。
子どもは、会話が一切できない状況が辛く、学校へ行くにも、足取りが重い毎日でした。
今まで経験したことのない疎外感もあっただろうし、アジア人差別もあった。
それからすぐに始まったコロナ。
アメリカでは、ステイホームが2年続き、学校もすぐに全てがオンラインに切り替わりました。
その2年間で、子どもは、一度心を休め、オンライン授業で、少しずつ英語が話せるようになり、そして、引っ越しもした。
新しい学校で、少しずつ会話ができるようになり、言いたいことが伝えられるようになり、そして、友達ができ始めた。
初めて、放課後「〇〇と遊ぶ約束してんねん。」と言ってきた時の、私の感動ったら。
もう、泣きそうなくらいの嬉しさ。
そして、この日、朝ごはんだけ食べて飛び出した双子。
お昼ご飯も食べず、おやつも食べず、どこにいるかも分からないまま、18時過ぎて、ようやく帰ってきました。
聞くと、友達と学校に行き、そこでまた別の友達と会い、みんなで遊び、そのままお友達の家に行って、ランチをいただいたそう。
お友達の家でランチをいただいたのも、アメリカで初めてのこと。
アメリカは、誘拐の数が日本の比ではないので、「どこにいるかだけは連絡してね。」と伝えました。
そして、後から、お友達の親から、こんな写真が送られてきました。
友達と遊びに出て、連絡するのを忘れるくらい楽しくて、そのまま遊び続けちゃって、夜になっちゃっただなんて。
そんなことが、私にとっては、この上なく、最高に最高に嬉しいことなんだ。
ここに来るまで、長かったね。だけど、本当に本当に良かった。
自分たちで乗り越えた結果、こんなに笑える友達ができたんだ。
アメリカでの我が家の日常や子育て、
日米で小中高大の教員経験のある我が家の目線から、
いろいろお届けします。
皆さんの家庭教育や子育て、
夫婦の形、
自分の人生についてのお話も、
たくさん聞かせてください。
いつか、オンラインやインパーソンで
会える日を願って!!