彼女は200人の死にゆく患者との対話の中で以下の5つの死の受容のプロセスがあることを発見しました。(ただし、すべての患者が同様の経過をたどるわけではないとしています)
第1段階 「否認」
患者は大きな衝撃を受け、自分が死ぬということはないはずだと否認する段階。
「仮にそうだとしても、特効薬が発明されて自分は助かるのではないか」といった部分的否認の形をとる場合もある。
第2段階 「怒り」
なぜ自分がこんな目に遭うのか、死ななければならないのかという怒りを周囲に向ける段階。
第3段階 「取引」
延命への取引である。「悪いところはすべて改めるので何とか命だけは助けてほしい」あるいは「もう数ヶ月生かしてくれればどんなことでもする」などと死なずにすむように取引を試みる。神(絶対的なもの)にすがろうとする状態。
第4段階 「抑うつ」
取引が無駄と認識し、運命に対し無力さを感じ、失望し、ひどい抑うつに襲われなにもできなくなる段階。すべてに絶望を感じ、間歇的に「部分的悲嘆」のプロセスへと移行する。
第5段階 「受容」
部分的悲嘆のプロセスと並行し、死を受容する最終段階へ入っていく。最終的に自分が死に行くことを受け入れるが、同時に一縷の希望も捨てきれない場 合もある。受容段階の後半には、突然すべてを悟った解脱の境地が現れる。希望ともきっぱりと別れを告げ、安らかに死を受け入れる。この5段階、様々な困難に直面した人にも当てはまるように私は思うのです。
私は子宮頚管無力症による流産だったので数時間の内に第1~第3段階を経験したように思います。
「病院に行けばなんとかなるかもしれない」「きっと大丈夫、助かる」
と考えた第1段階。
「なぜ2度もこんな事に」「私のせいで赤ちゃんが」「どうして私はいつもこうなんだろう」
と考えた第2段階。周囲にというより自分自身に怒りを向けていました。
「神様、時間を戻して下さい」「この子を助けて下さい、そのためならなんでもします」
と考えた第3段階。これは今でも思っています。
そして今第4~第5段階にいるのか…
それとも第5段階の受容しつつ、もし時間が戻ったらなんてありえもしない事を考えている(これが一縷の希望?)状態なのか…自分ではまだ分かりません。
明日は初めての月命日。
休みの主人とお花を買いに行って親子で静かに過ごそうと思います。