あれは忘れもしない平成元年9月11日(日)午後9時の事です。結婚して5ヶ月目、夫婦で夫の実家から帰宅した直後私は強い腹部の痛みを感じ自然とトイレに駆け込みました。そして大量の出血状態になったのです。自分でも何が起こったのか?ただ痛みと出血が続いて脂汗をかいて苦しい思いをしていたのです。

夫がそんな私に気付き(こういう時は救急車救急車を呼ぶのが普通なんですが)、気が動転したのでしょうね。実家の母親に電話していました。そしてまた夫の実家に引き返す事になりました。

義母は直ぐに「流産に間違いない!」と判断し、義姉が出産した市民病院へ連絡してくれました。

その時は現在のように紹介状が無いと1570円を取るという事にはなっていませんでしたが、いかんせん日曜日の夜の事。当直医は麻酔科医と内科医の2人の先生がまずは対応してくれましたが、どうする事もできない訳です。

直ぐに帰宅していた産婦人科の先生に連絡を取ってくれ、診察を受けました。そう妊婦が検診を受ける時に乗る台に私もいきなり乗る事になったのです。


先生は注射採血した後看護師さんに「直ぐ検査室に持っていくように」と渡したのですが、「え~ぷんぷん今からですか~」と凄い不機嫌。それでも直ぐ結果が出て「妊娠していましたよ」と言われました。私は全くその自覚が無かったのでショックを受けました。翌日改めて子宮の中を調べるという事で私はそのまま入院する事になりました。

夫は翌日系列の会社の人と出張の予定だったのですが、動揺がやはり酷く上司に電話で直ぐ報告して休ませてもらう事にしたのです。私は点滴をしたまま一夜を明かしました。


翌12日午後から私はストレツチャーに乗せられ、今度は手術室に入りました。そう

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などに出てくる部屋です。麻酔科医の医師から「まずアレルギーの反応を調べる注射を3本しますね」と言われ、それから産婦人科の先生が入って来られました。点滴のチューブから枝分かれしたところから麻酔を入れるので、「数を数えますよ。いち・にい・…」意識は直ぐ無くなりました。気がついたのは既に出産を終えた人がいた部屋でした。「よく寝とってじゃね~」という声でした。

翌日13日に先生から全ての結果を知らされ「子宮内には何も残っていませんでした。ですから正確な妊娠周期はわかりません」と。そして3ヶ月避妊をするように言われ薬薬をもらつて退院しました。しかし直ぐ家事をする力も無く、夫の実家で2週間静養する事となりました。

しかしその間に義母は親戚中に私が流産した事を電話で話していたのですしょぼんもちろん、私の後に結婚した義弟夫婦にも…それが義母に対する不信感の始まりでした。


それから3ヶ月きっちりして上の子(現在高2の娘)が新たに私の体に宿ったのです。

こういう話を周りの人にできるようになったのは、流産してから5年も経ってからです。それ程心の傷は深いものでした。もちろん私は「自分がしっかりしていればあの子は死なずに済んだのに」と思って自分を責めましたし、あの子が生まれていれば娘は生まれてこなかったかも?とも思います。

私の周りでも多くの方が流産をされていました。ほとんどが子宮内で赤ちゃんが死んでいたという形でした。

もし周りでそのような方がおられましたら、そっとしておいてあげて下さい。「まだ若いんだから」とか言われても赤ちゃんは戻ってきませんから。お願いします(。-人-。)