文学・映画・バレエの
世界を比べてみると
実に面白いことに
気がつく
まず
文字を主体にした
文学の世界は
読み手側の
世界が豊かだ
文章を読んで
受け取る世界
その空間は
読み手の
想像力に
委ねられる
もちろん
作者
書き手側の
意図があり
メッセージがあるのだが
読み手は
作者の意図を
正確に受け取らない
場合もあるし
最終的には
読み手の
感性に委ねられる
一方
映画は
映像
つまり
視覚的にメッセージを
つたえる
文字と比べると
その情報量
メッセージの量も
圧倒的に多い
しかも
受け手側は
メッセージが映像なので
非常にわかりやすい
逆に
提供された映像からは
受け手側の
想像力が
損なわれる
危険性を孕んでいる
さらに
最近では
CG技術の進歩により
リアルな映像とは限らない
場面も多い
そして
AI技術を加えることで
さらに
リアルであるのか
創造空間なのか
提供された映像を
みても
判別は難しい
とはいうものの
映画は
人間の想像力を
具体的なイメージとして
提供できるようになり
メッセージは強力で
圧倒的な情報量を誇る
リアルと現実
人間の想像力
このような状況に
人間のリアルな力だけで
メッセージを伝える方法がある
舞台芸術
その中の一つ
「バレエ」
バレエは
ダンサーの高度に訓練された
踊りの技術を駆使して
表現する
すべて
生身の人間の力のみで
さらに
人間の持つ
高度なコミュニケーションツール
言葉を排して
表現する
リアルな人間の力のみで
表現するバレエ
そのなかでも
クラシックバレエは
踊りそのものも
厳格に決められた
表現方法
「型」
に限定されている
この限定条件のなかで
表現するバレエは
ダンサーに
さらなる高度な人間の
表現力を求めている
このような前提で
表現される舞台
バレエをみる場合
受け手側
観客は
一定の訓練
努力が必要とされる場合が
生じることとなる
この点は
映画とは
全く条件が異なる
この
限定条件のせいで
一般大衆
すべての人に
受け入れられることは
困難となる
このような
鑑賞する前提条件が
多くあるにもかかわらず
バレエは
消滅することはない
伝統芸術として
私たちの中に
生き続けている
人間は
なんとも
贅沢な生き物だと
つくづく思う
鑑賞する側に立つ時
メッセージ量が
圧倒的に多く
しかも視覚、聴覚、言語
などの人間の持つ多くの器官に
直接訴えかける
スタイルで満足するのかといrば
そうでもない
鑑賞する側
受け手側の自由を
より好む人々もいる
イメージを自在に操り
作者の意図を探ることを
楽しみ
空想することのできる
自由も楽しむ
極めて限定された表現ツール
言語だけを用いることを
喜びと感じる
自由を愛すると同時に
限定された空間を好む
この多様な世界
芸術を
人間は愛してやまない
そして
この芸術が
わたしたちの生活に
不可欠なことも
知っているのである
相模原のバレエ教室なら