随分更新してなかったです。

と言う事でご安心下さい。
脚本・・・始めてます。
ベニバラ兎団vol.14「パライソの海~小さな花の夜露に映る月~」の。
現在、どの辺の位置にいるかと言うと、まだプロット(map)ですから、
ありゃ脚本としてはスタートを切っていないと言う事です。
いやいや入念なアップをしている段階です。

自身初めての歴史物。
資料を読むのに時間がかかるぅ~。
キャバレーカルチェラタンも1950年の話だったので時代物だったけど、
あの作品は完全フィクションでしたから。
とは言っても本作もドキュメンタリーではないので、
史実をどう解釈し、作品としてエンターテイメントにして行くか?
調べていると「~らしい」「~だったらしい」「~と言い伝えられている」
などなど、他の歴史以上に不確定な事が多い事に気付かされます。
確かに事実として残ってるもの、事実を語ってる事もあるけど、
天草四郎と言う人物、そのまわりにいた人物、起こった出来事には、
とても謎が多いと感じています。
ここがボンソワールのオイシイと思う天草四郎。

今から約10年程前に里帰りした折り、
久しぶりに実家の裏山にある天草キリシタン館に行った時の事。
ここには歴史的に貴重な資料や展示物がある観光名所なんだけど、
僕は3つくらいの時から、よく遊びに来てました。
広場に月光仮面ショーや、仮面ライダーショーがよく来てたので。
資料館にも何度も入ってたけど、子供の私にはなんの事やらでした。
夏に入るとクーラー効いてるから涼しくて、
床がひんやりしていて寝そべったり、
アイスクリームやジュースが売ってたり、
芝生があってブランコや滑り台があって、
子供の私にはなんせ楽しい場所だった。
久しぶりに行ったキリシタン館の帰り、館長の方が話しかけて来られました。
「県外からいらしたとですか?」※県外からいらっしゃったのですか?
そんな会話に端を発し私が天草の出身で今は東京に住んでる事、
演劇をやってる事、脚本を書いている事、などなど・・・。
かなりベラベラと話してしまい、
勢いで「そのうちいつか天草四郎を題材にした脚本を~・・・」
当時そんな事考えてもいなかった癖に格好付けた事を言ってしまった。
考えていなかったと言うか、こう言った類いの脚本はまだ書けない。
それはつい最近までも思ってて、天草四郎は50代になってからかなぁ~と、
これと言った根拠はないけど。

その後、有り難い事に館長さんは、四郎に関する資料のコピーなどなど、
実家の母の所に届けてくれたのです。
私の実家は商売をやっていたので、両親をよくご存知でした。
天草市(旧本渡市)は小さな町ですから。
そして母が私に送ってくれたA3サイズの色あせた封筒。
その資料が10年以上経った今、やっとテーブルに広げてられたのです。
ただでさえ遅筆な私は、その量に焦ってるのです・・・( ̄_ ̄ i)
資料物が無くても毎度焦ってる作家ですが・・・(・_・;)
追い込まれないとやる気が起きないダメ作家・・・(;´▽`A``

結局、50代前に書く事になった天草四郎の話。
それが正しかったのか?どうなのか?
この夏、自分の中で決着がつく訳だけど、
先の事や結果を考えれば胃腸に良く無い・・・。
こう言う時は概ね作品が小さくまとまってしまう。
だから結果は考えない!考える意味すら無いのだ!
書きたい事を、広げたい世界をただひたすら広げるのだ!
後は心から信頼、親愛する俳優達に想いを託せば、なんとかしてくれる!
テへペロ(*´σー`)

天草の人間が天草の話を書く、パライソの海・・・。
ベニバラ兎団が今までに無い天草四郎を復活させます。
だからいつもより沢山の人に見て貰いたい作品。
無稽な自信めいたものもあるのです。

今の段階で誤解の無いように言っておきますが、
確かに史実は追いますが、あくまでもボンソワール作です。
お分かりですね?「歴史・・・難しそう~」ご無用!
何故なら、ボンソワールだからね。

と言う事で、今毎日私の頭の中で鳴り響いてやまない、
天草の民謡「ハイヤ節」を紹介します。
私は何故この映像を見て、ハイヤ節を聞いて涙が出るのか?
どうして小さい頃からこの曲を聞くと鳥肌が立つのか?
そして踊り出してしまうのか?

もしかして私は・・・天草四郎の生まれ変わ・・・

いや三輪さんと言う一説もある。