昨晩のサッカーに興奮。
劇的で、全編ドラマティックな試合だった。
でもレフリーのアウエーなジャッジな事。
想定内だったけど、、、。
「おい!今のファールだろ!」でも笛は鳴らない。
「今のファールじゃないでしょ?」でも笛は鳴る。
「あら~それはレッドでかもよ?」案の定レッド。
いや~酷いのなんの。
とそんな中ですね、試合中にも関わらす、昔、昔、小学生の頃、テリーファンク兄弟が、
タイガージェットシンとシーク組と試合をしたのを思い出したのです。
ちなみにこれプロレスの話しですよ。
タイガージェットシンがレスラーパンツからフォークを取り出して、テリー兄弟の兄なのか弟なのか?
どっちか忘れたけど、どっちかの腕をメッタ刺し。
も~モーレツに血がビャンビャン出てました。
小学生には刺激が強過ぎるくらいピューピュー出まくってる訳です。
「ヤメロー!レフリーフォークフォーク!」TVに向かって絶叫。
卑怯な事にレフリーは違う方を見てやがって、知らんぷり。
も~はらわたが煮えくり返りながら、
「レフリー!後ろ!後ろ!シークじゃなくてジェットシンのフォーク!テリーの腕!腕ぇ~!」
「志村ー!志村ー!」なんてそんな生易しいもんじゃないです。
幼気な小学生がはらわた煮えくり返して悲鳴、絶叫、そして悲鳴。
結果的に、遠い記憶でジェットシンとシーク組は反則負けだったと思うんだけど、、、。
そのへん曖昧で恐縮です。
で、なにを言いたいかと言うと、やっぱ想定内の想定外は記憶に残るんです。
前置きが長くなったけど、カタール戦は当分僕の記憶に残る試合になる!
と言いたかった。
この間もブログに書いたけど、脚本も同じメカニズム。
想定内の想定外がドラマティックになる。
想定内が結末だとした時、想定外はそこに辿り着くまでのプロセス。
たまに想定外の想定内的な作品に出会う事があります。
近年この手法は御法度過ぎて目にしなくなったけど、
エンディングで「・・・夢でしたとさ。」と括るような作品がソレ。
『まさか、、、まさか、、、うわぁ~夢落ちかよっ!!!』
ある意味「想定外の想定内」です。
例えば昨日のサッカーを例に取り上げてみましょう。
アナウンサー「1人退場で10人になってしまった日本!一体どうなるんでしょう?全く先が読めなくな
ってしまいました!」
実は大方の人は先が読めているんです。
1、日本がカタールに追加点を入れられて、数的不利で負ける。
2、一人少ない日本が根性を見せて大逆転勝ちする。
3、同点にして90分をしのぎ、延長戦で勝敗が決する。
4、延長戦もしのぎ、PK戦で勝敗が決する。
ざっくりとですが、こんな予測が事前に心構えとして予測出来ているんです。
試合結果を知ってる方は分かると思いますが、答えは2番。
では予測が出来ているのに感動をすると言う事はどう言う事か?
実は予測がついているから、そこに「リアリティ」が生まれる訳で、
突拍子も無い事に人は感情を共有しにくいもんです。
「リアリティ」があるから人は感動を共有出来ると考えます。
例えば5に『ザックジャパンの面々がブチ切れて全控えの選手を強行出場させ勝利をもぎ取る!』
そんな予測はしませんものね。
そもそもルール上認められない訳ですから、リアリティなんて共有出来ないのです。
ついでに6で『ピッチ上の選手達が自暴自棄になってパンツ一枚になる』
そんな放送事故を見てみたい気もするけど、あり得無いのです。
これが脚本を書く上で面白いか?面白く無いか?を大きく左右するメカニズム。
想定内の結末に辿り着く迄、いかに想定外のプロセスを辿るか。
見る側の想定内を外さず、その中でいかに意外な展開に持ち込むか。
今晩は仕事の事なんか忘れて、サッカー観戦に没頭して俺は息抜きをするのさっ!
そう意気込んで応援に集中したつもりだったのに、
「想定内、、、想定外、、、」
んな事をあーだこーだと考えてたら90分。
日本勝利!
結局、なんの息抜きにもなっていない事も実は想定内なのだ。
トホホ・・・(/_;)/~~
劇的で、全編ドラマティックな試合だった。
でもレフリーのアウエーなジャッジな事。
想定内だったけど、、、。
「おい!今のファールだろ!」でも笛は鳴らない。
「今のファールじゃないでしょ?」でも笛は鳴る。
「あら~それはレッドでかもよ?」案の定レッド。
いや~酷いのなんの。
とそんな中ですね、試合中にも関わらす、昔、昔、小学生の頃、テリーファンク兄弟が、
タイガージェットシンとシーク組と試合をしたのを思い出したのです。
ちなみにこれプロレスの話しですよ。
タイガージェットシンがレスラーパンツからフォークを取り出して、テリー兄弟の兄なのか弟なのか?
どっちか忘れたけど、どっちかの腕をメッタ刺し。
も~モーレツに血がビャンビャン出てました。
小学生には刺激が強過ぎるくらいピューピュー出まくってる訳です。
「ヤメロー!レフリーフォークフォーク!」TVに向かって絶叫。
卑怯な事にレフリーは違う方を見てやがって、知らんぷり。
も~はらわたが煮えくり返りながら、
「レフリー!後ろ!後ろ!シークじゃなくてジェットシンのフォーク!テリーの腕!腕ぇ~!」
「志村ー!志村ー!」なんてそんな生易しいもんじゃないです。
幼気な小学生がはらわた煮えくり返して悲鳴、絶叫、そして悲鳴。
結果的に、遠い記憶でジェットシンとシーク組は反則負けだったと思うんだけど、、、。
そのへん曖昧で恐縮です。
で、なにを言いたいかと言うと、やっぱ想定内の想定外は記憶に残るんです。
前置きが長くなったけど、カタール戦は当分僕の記憶に残る試合になる!
と言いたかった。
この間もブログに書いたけど、脚本も同じメカニズム。
想定内の想定外がドラマティックになる。
想定内が結末だとした時、想定外はそこに辿り着くまでのプロセス。
たまに想定外の想定内的な作品に出会う事があります。
近年この手法は御法度過ぎて目にしなくなったけど、
エンディングで「・・・夢でしたとさ。」と括るような作品がソレ。
『まさか、、、まさか、、、うわぁ~夢落ちかよっ!!!』
ある意味「想定外の想定内」です。
例えば昨日のサッカーを例に取り上げてみましょう。
アナウンサー「1人退場で10人になってしまった日本!一体どうなるんでしょう?全く先が読めなくな
ってしまいました!」
実は大方の人は先が読めているんです。
1、日本がカタールに追加点を入れられて、数的不利で負ける。
2、一人少ない日本が根性を見せて大逆転勝ちする。
3、同点にして90分をしのぎ、延長戦で勝敗が決する。
4、延長戦もしのぎ、PK戦で勝敗が決する。
ざっくりとですが、こんな予測が事前に心構えとして予測出来ているんです。
試合結果を知ってる方は分かると思いますが、答えは2番。
では予測が出来ているのに感動をすると言う事はどう言う事か?
実は予測がついているから、そこに「リアリティ」が生まれる訳で、
突拍子も無い事に人は感情を共有しにくいもんです。
「リアリティ」があるから人は感動を共有出来ると考えます。
例えば5に『ザックジャパンの面々がブチ切れて全控えの選手を強行出場させ勝利をもぎ取る!』
そんな予測はしませんものね。
そもそもルール上認められない訳ですから、リアリティなんて共有出来ないのです。
ついでに6で『ピッチ上の選手達が自暴自棄になってパンツ一枚になる』
そんな放送事故を見てみたい気もするけど、あり得無いのです。
これが脚本を書く上で面白いか?面白く無いか?を大きく左右するメカニズム。
想定内の結末に辿り着く迄、いかに想定外のプロセスを辿るか。
見る側の想定内を外さず、その中でいかに意外な展開に持ち込むか。
今晩は仕事の事なんか忘れて、サッカー観戦に没頭して俺は息抜きをするのさっ!
そう意気込んで応援に集中したつもりだったのに、
「想定内、、、想定外、、、」
んな事をあーだこーだと考えてたら90分。
日本勝利!
結局、なんの息抜きにもなっていない事も実は想定内なのだ。
トホホ・・・(/_;)/~~