桜が咲き始める頃、よく散歩する公園があります。
そこは小高い丘になっていて、丘の上にはヨーロッパのお城のような見晴らし台があります。
麓から坂道を登っていくと眼下には住まいや職場の地域が遠く見渡せます。
通勤の時に工事がだいぶ進んでいると感じていた駅の、新しい高架の全体像が把握でき、その広大さに驚きます。
曲がりくねった道を歩いているとふと何かの花(おそらく椿)の甘い香りが漂ってきたり、思わぬところで野良猫が現れたり、去年はなかった新しい木が植えられていることに気付いたり。
桜の木を背景に結婚の記念撮影をしている新郎新婦に出会ったり、朝起床時に鳴き声が気になっていた鳥の姿を目撃したり、美しい桜を咲かせる樹の木肌に思わず触れてみたり等々。
日常生活では勾配のある道を上り下りする機会は少ないですが、散歩の機会は普段の身体の使い方の偏りを実感する時間にもなります。
情報が溢れる現代、桜の開花の模様はテレビやインターネットでも知れます。日常の通勤・通学路でも桜が目に留まることがあります。
しかし、短時間でも時間を取って桜を見に出かけてみると、自然に五感が刺激され、身体も心も解きほぐされる実感を持てるようになるかもしれません。
なんとなく感じてわかること、見に行く(こうする)と決めて行動して感じられること・わかること・出会うことには違いがあるなと改めて思った春の散歩のひとときでした。