今日はいばらきドリプラで関わった仲間たちと、日本理化学工業さんの工場見学に参加してきました。
8月に開催された、スターリィマンとのコラボイベントで、会長秘書の真理さんとご縁をいただいてから5カ月
この様子は、とても今夜中に整理できないほど感動の連続だったので、今夜は僕らの会社での障害者雇用の思い出話をしたいと思います。
先生 その713
10数年前に入社した仲間に、タッキーという助手のアルバイトさんがいました。
視覚障害と、若干の知的障害もありましたが、文字の読み書きは出来るし、体力も人並です。
面接をした結果、最初は彼の採用に関しては躊躇しましたが、家が近所ということもあり、「まずは働いてもらってから考えよう」という社長の積極的な姿勢で、採用することになったのです。
それまでも、何度か働いたことのあるタッキーでしたが、どこも長く続けることはできなかったようで、彼は働けることが嬉しそうな様子です。
最初のうちは、どう関わっていいのか分からないといったドライバーたちとも、自然に打ち解けていきました。
ところが、最初のうちは真面目に働いていたけれど、段々とだらしなさが目立ってきました。
お酒が大好きな彼は、二日酔いで出勤してきたり、ひどい時は無断で休むことも出てきます。
それでも、注意した次の日は真面目に働いてくれていたのですが、二日続けて欠勤した日、ボクの堪忍袋の緒が切れました!!
「お前、自分が障害者だと思って、甘えてんじゃねぇぞ!!
みんながお前のことを、仲間だと思って、会社の戦力だと思っていることに、まだ気づかないのか!!」
ボクに怒鳴られながら、ポロポロ涙を流すタッキー
「ちょっと言い過ぎたかな」と反省しましたが、その後滅多なことで遅刻をすることは無くなりました。
5年前、白内障が進行し、肝臓が大分弱ってしまって治療に専念するため、彼は退職することになりました。
「元気になったら、また戻ってこいよ」と、仲間たちに励まされて会社を去りましたが、その半年後、彼は急性心不全でこの世を去ったのです。
身よりの無かった彼の葬儀は、うちの社長が地域の方に呼びかけて出してくれました。
葬儀に集まった方の半数は、当時僕らの会社にいた仲間たちとOBたち。
みんな仲間との突然の別れに、ショックを隠しきれない様子でした。
お葬式の最中、ろうそくの炎が急に大きく燃え上がり、号泣するようにロウがこぼれました。
きっと、一緒に働いた仲間に見送られて、タッキーが喜んでくれたのではないかとボクは信じています。



