息子がサッカー部に所属していながら、サッカーというスポーツに関して、知識も経験も浅い稲葉です。

それでも先週のなでしこJAPANの勝利は、ビックリしましたねぇ!!

まるで映画「ロッキーⅣ」のような、完全なるアウェイでの歴史的な勝利。

試合終了後のドイツ選手とサポーターの落胆ぶりは、アトランタ五輪のブラジル戦を彷彿させてくれました。


先生 その564


そもそも「なでしこJAPAN」の「なでしこ」って何?

花の名前だってことは知っていたけど、こんな花だったんですね。


すべては我が師 -ぼくの好きな先生-

可愛らしい子供のように見えるので、つい「撫でたくなる」から撫子と言われたのが語源だそうです。


実際にボクは、この試合の中継を見ていたわけではなく、週末のニュースで知ったのですが、そこで取り上げられていたある選手に釘づけになっちゃいました!!

DFとして大活躍された鮫島彩さん。

「なでしこJAPAN」の中でも、比較的「なでしこ」らしい雰囲気の女性ですが、プレーを見る限りでは守りの執念がハンパない、根性のある選手ですね。


その鮫島さん、昨年度までは東京電力マリーゼの選手として所属され、普段は福島第一原発の事務スタッフとして勤務されていたのです。


プロスポーツの選手として、「スポーツで日本を元気にする」ことは、大切な復興支援です。

しかし彼女の場合は、素直にそう思うことができなかったようです。


「原発事故という前代未聞の危機を起こした会社の人間として、自分だけが好きなサッカーをしていていいのだろうか?」


応援してくれたファンや家族への思い、一緒に働いていた東電社員の人たちへの思い、そして福島に住む人たちへの思い。

複雑な思いを抱えながら、日本代表としてこの戦いに挑んでいたんですね。


そして、なでしこJAPANは、奇跡的にドイツチームに競り勝ちました。

専門的なことは分かりませんが、彼女がチームの勝利に貢献したことは間違いないでしょう。

きっと、迷いを断ち切って、自信を取り戻せたのではないでしょうか?


様々な葛藤を抱えながらも、凛として戦ってくれた鮫島さん、そして支え合いながら、僕ら日本人に元気をくれた大和撫子たちに感謝!!

そして、悔しい敗戦となっても、健闘を讃えてくれたドイツの皆さんにも感謝です!!

スポーツの力、恐るべしだなぁ。

昨日今日は、地元の青年会として、お祭りの手伝いをしてきました。

昨年も同じような気候だったけど、炎天下の中でのお祭りは体に堪えますね

暑さには強い方だという自負が段々崩れてきました。

頭に鈍い痛みを感じながらも、ブログを書いてしまう自分を「かわいいなぁ」と思ってしまいます。


先生 その563


子供が小学校に上がると、子供を通じて地元の先輩たちと接する機会が増えます。

小学校や中学校の時の同級生や先輩・後輩の関係は、30代になっても40代になっても変わりません。


特に中学校の時に先輩だった、1コ上、2コ上の先輩との関係は、始末におえませんあせる

その先入観が、ボクの地域社会デビューを留まらせていました。

実際に、ボクが青年会に入会したのは、35歳になってからのことです


ただ実際に中に入ってみると、「先入観ってつまらないな」ということが分かります。

参加できる機会は限られてきますが、目の前のことに一生懸命になっていれば、段々と先輩たちに認められてくるのです。

「怖い」と感じていたのは、当時の自分が「素直に一生懸命な後輩」じゃなかったからですね。


それと、地元出身の人たちばかりではなく、お婿さんに入ることや、引越でこの地域に住むことになったメンバーも多く、その混じり具合がボクの居心地を良くしてくれました。

むしろ、メンバーの中でも仲がいいのは、そういった事情の仲間の方が多いかも。


今年は一気に5人も、20代のメンバーが増えました。

昨日、今日と、一緒に準備を手伝ったり、屋台をやったのですが、一生懸命な姿勢に感動しました。

体力の差ももちろんですが、動きが速いし、返事がとても素直です。


そして、みんな様々な場面で、初めてのことに果敢に挑戦してくれます。

ボク自身の一年目は、先輩に支持されるまで動かず、ボケっとしていた新人でした。

「ヘタに手を出すと、怒られるんじゃないか?」という先入観があったんですね。


この地域はボクが生まれ育った場所。

気の合う人ばかりが住んでいるわけではないけど、間違いなく一番お世話になっている人たちです。

ましてや、今の会社をずっと経営しつづけるかぎり、この繋がりは切れませんからね。

年に一度のお祭りだけど、来年もこの日は、地域のみなさんに尽くしきろうと思います。

松本復興大臣の辞任については、賛否両論ありましたが、引き金になった宮城県知事との会談での指摘は、そんなに的外れには感じなかったなぁ。

ようはこの人、ウソがつけない正直な人なんでしょうね。

かつて「天皇を中心とした神の国」と言っちゃって叩かれた内閣総理大臣がいましたが、その人に近い素直さと無知を感じます。


先生 その562


管総理のかじ取りに、「裸の王様」を感じている稲葉です。

あの童話との一番の違いは、庶民はもちろん、側近からも「王さまは裸だ」と言われているのに、本人が「いいや違うむかっと、頑固になっていることかな(笑)

ただ、「次の総理大臣にふさわしい人は誰か?」と聞かれても、ボクにも適任者がいるとは思えません。

それでも支持率はまだ10%以上あることに、ボクは正直驚いてます。


かつて三谷幸喜さんが脚本を書いたドラマに、「総理と呼ばないで」という作品がありました。

主演の田村正和が、ものすごくダメな総理大臣役だったのですが、1%というありえない支持率の内閣を、なんとか維持しようとするホームコメディです。


なんで、こんなダメな人が総理大臣になれたのか?

ダメ過ぎて、政治献金や賄賂といったものを集める力が無かったから、スキャンダルに巻き込まれなかったおかげで総理になっちゃうんですね。

だけど、最後に彼の秘書がマスコミに口止め料を払ったことがすっぱ抜かれ、窮地に立たされます。


同じ政党の長老たちからは、「お前はバカなんだから、全部とぼけて余計なことは言うな!!」と釘を刺されますが、彼は側近たちに「お前らに、オレの行政改革を見せてやる」と大見栄をきって、証人喚問の席に立ちます。


総理がとった行動とは・・・

なんと自分の悪事を大げさに語り、自分が泥をかぶりながら、内閣総辞職をするのです。

そして、新しい勢力をアシストする形で、身を引いていくのです。


このドラマ、あまり視聴率はとれなかったようですが、今こそ再放送して欲しいと願います。

この退陣の挨拶をぜひ、管総理をはじめ、すべての代議士の先生に噛みしめて戴きたい。


いや、ひょっとしたら、管総理はこの田村正和さんが演じた総理の真似をすることで、日本の国を変えていこうと、ダメぶりを発揮しているのかも・・・。

もしそんな考えが裏にあるとしたら、この人は歴史に残る名将かもしれないですねぇあせる

「すみません、事故を起こしてしまいましたあせる


運送会社の経営者や配車係にとって、あまり聞きたくない電話です。

その報告を受けた時に、「まず最初に何を心配するかで、上司としての器の大きさがわかる」と、先輩社長から教えてもらったことがあります。

どれが善いとか悪いとかは無いのですが、この場合に多い事例はこの3つでしょう。


売上と経費を大切にしたい人は「トラック大丈夫か?」

お客様を大切にしたい人は「荷物大丈夫か?」

従業員を大切にしたい人は「ケガはなかったか?」


先生 その561


昨日、てっぺんの大嶋さんのメルマガに、本田宗一郎さんのお話が紹介されていました。

本田さんのことを、ボクは詳しく知りませんが、日本を代表するカリスマ創業者のお一人であるという認識だけはありましたが、人間的に特大の器をもっていたことを教えてもらいました。


1953年、本田さんは最新鋭の機械を海外から輸入するのです。

その投資金額は、当時のお金で4億円!!

それでも本田さんの志は、自社の繁栄ではなく、日本の繁栄のためにありました。


「会社はつぶれるかもしれないが、機械そのものは日本に残る。

それは必ず日本の産業界に役立つはずだ」


カッコよすぎます。

でも、きっと「自分の会社をつぶさない」覚悟があったから、こんなセリフが言えたのでしょうね。


ところが、その機械を社員さんが壊してしまうのですむかっ


「あの機械を壊してしまいました・・・」


真っ青な顔で、恐る恐る報告する社員に対して、本田さんはこう聞き返しました。


「ケガはなかったか?」


社員はきょとんとして、もう一度機械を壊したことをお詫びすると、本田さんはこう答えました。


「仕方がないじゃないか。機械はまた直せばいい。

でも、人は手や足を切り落としてしまったら元には戻らない。

人にケガがなかったのが一番だ」


この言葉を聴いて、社員さんは涙を流しながら誓いを立てました。


「この人に一生ついていこう」


何か問題が起きた時に、僕らはどこに心を配るのか?

その立場で価値観は変わると思いますが、ボクは真っ先に人を心配できる経営者でありたいです。

「世界のHONDA」は、人を大切にすることで成長できたのですから。

先生になるなら、何の先生になりたい? ブログネタ:先生になるなら、何の先生になりたい? 参加中


前にも話したかもしれませんが、ボクの夢の一つが学校の先生になることでした。

「熱中時代」や「3年B組金八先生」の世代なので、もろに影響受けまくりでしたねぇ。

PTA役員時代に、学校に行くのが面倒じゃなかったのは、職員室の雰囲気への憧れみたいなものがあったからだと思います。


先生 その560


担当したかった教科は、社会、特に歴史の先生です。

小学校の頃から、社会だけは得意だったし、高校でも、他はギリギリの点数でも日本史、世界史は常に80点以上をキープしていました。

最終的に、受験科目は世界史にしたのですが、これは「深く掘り下げて考える日本史」より「広く関連性を考える世界史」のほうが、自分の性にあっていたからだと思います。


高校の時にお世話になった担任は、日本史の後藤先生。

しかしながら、ボクは文系クラスにいながら、先生の日本史の授業を受けられる機会がありませんでした。

担任としての先生は最幸の先生でした。

華奢で小柄で面白い先生でしたが、怒る時はメチャメチャ迫力があり、怒鳴られているだけで恐怖で涙が出たこともありますあせる


入学直後のHRで、先生は僕らに厳しい口調でこう言いました。


「高校の3年間をどう過ごすかで、お前たちのその後の人生は決まる。

今、一生懸命になれないヤツは、これから先の人生で、何をやってもダメだからなむかっ


この言葉は、誰かが問題を起こすたびに、HRでよく使っていたので、ボクの耳にも未だに残っています。

ボクは真面目っ子でもない代わりに、ヤンキーの世界に入る勇気のない、中途半端な高校生。

しかし、言われ続けるたびに「ほんとに高校の3年だけで、人の人生は決まるのかよ」という反発も感じていました。


卒業式のあとの最後のHRで、先生は僕らに頭を下げながら、この言葉の真意を教えてくれました。


3年間、みんなを騙して申し訳ない。今まで言い続けた、あの言葉はウソだべーっだ!

20歳でも、30代でも、40代でも、人生を変えることはできるからな。

一度や二度の失敗ぐらいでくじけないで、頑張れよ!!」

こんな内容だったと思いますが、ニコニコしながら話す先生に、全員が笑いながらブーイング!!

それでも、和やかなお開きになって、記念撮影をしたりしながら、最後の別れを楽しみました。


あれから20年以上経ちますが、先生が方便を使った理由が、分かるような気がします。

最初から「失敗しても気にするな」って言ってくれるのはカッコいいけど、15,6歳の子供がそれを聴いたら、楽な方に流されてしまったでしょうね。

先生の存在が、ボクにとっての孫悟空の輪っかになっていたのかもしれません。

最初に気を引き締めさせて、最後には本音のエールを送ってくれた先生に感謝です。