長かったような、短かったような、年末年始が今日で終わる。
12月は塙田の「ぎやまん」さんへ何度か手伝いに行かせてもらった。
うちのようなお店の形態では、12月の終わりにかけて行われる大人数での忘年会というものは存在しないし、たまには違うお店に出向いて働きたかったからだ。
自分のお店に1人でいると、何でも出来たような気になってしまうので、場所が変われば何も出来ない無力な自分を確認する為でもあるし、食材ややり方の違いを学ぶ為などいくつかの理由を、折角なら忙しい時に手伝いに行って恩でも売っておこうかと思いついた。
秋口にはこのまま行くと個人事業主の納税ラインの1000万円が見えてきたので、これはいかんと気づいたが、日雇い労働者のような日銭で暮らしている身としては、1ヶ月暇なら危ない、2ヶ月暇なら物を売る、3ヶ月目には廃業のエリートコースを歩むわけにも行かず、それなら外貨を稼いで来ようという名案に至った次第。
おかげさまで12月最終週からは忙しくさせてもらい、近いうちにやろうと思っていた義援金の為のお弁当を、社会が動いているのだから動いてないのだか分からない、どう考えても忙しくない年末年始の最終日に充てた。
人の気持ちは相変わらず分からない。
それでも寄付や募金をしたいのは、自分の知らないところで誰かの役に立ちたいと思うから。
ひいてはそれは自分のため、自己肯定の為。
自分はまだいける。まだ大丈夫。誰かの役に立てる。
相変わらずお金もないけれど、それを確認できるだけでまだがんばれると思う。
全員とうまくやれたらいいけれど、自分はうまく出来ない。出来そうにない。
「儲かっている」とか「自己満足」とか、色々言われる事もあるけれど、元来そのような事を言われても「馬鹿が喋ってる」くらいしか思わないので気にしていないし、そのような人と距離感をとることもできるいい機会になる。
1万円寄付するより、その1万円でお弁当を作って売った方がより多くの寄付ができると思いついた自分は天才なんじゃないかと思う。
従業員を抱えているお店や家族のことがある人は難しいような事を、思いつきで出来るこの環境で働けていることを恵まれていると感じなければいけない。
「No future for you」
遠い未来は確かにない。
近い将来はぼんやり見える。
それくらいがちょうど良いのかもしれない。
これも自分が選んだ生き方。
刹那、万歳。
今年もよろしく。