中島みゆきの「狼になりたい」が好きだ。


女を口説こうとするも口説けない、深夜の吉野家を舞台にした一貫してさもしい男の物語。


「なんとかしようと思ってたのに こんな日に限って朝が早い」という意気地無さと、「兄ィ 俺の分早く作れよ そいつよりこっちのが先だぜ」と店員に言うような横柄さ。


それに続く、「買ったばかりのアロハは 土砂降り雨でよれよれ まあいいさ この女の化粧も同じようなもんだ」は歌謡史に燦然と輝く悪口で、早く自分のこのような事を言いたいと憧れるような悪口だ。


「向かいのおやじ見苦しいね ひとりぼっちで見苦しいね」と、ああにはなりたくないと卑下する心情は、「あんたも朝から忙しいんだろ 昼間 俺たち会ったら お互いに いらっしゃいませなんてな」と同情と焦燥が入り混じった皮肉となる。


「人形みたいでもいいよな 笑える奴はいいよな みんないいことしてやがんのにな  いいことしてやがんのにな」というプライドの高さと自己の肯定と否定を繰り返す劣等感。


「俺のナナハンでいけるのは 町でも海でもどこでも ねえあんた 乗せてやろうか どこまでもどこまでもどこまでもどこまでも」という自分勝手な優しさが垣間見られる妄想と逃避。


79年発売のこの歌の頃には「シンガーソングライター」という言葉があった。自分で書いた詩に、自分で作った曲をのせて、自分の声で歌う人の事だ。


現代においてはなにも珍しいことではないが、作詞家と作曲家が作った曲を歌うのが多かった時代には全部一人でこなす人、特に女性は少なく「女性シンガーソングライター」というような冠がつくと事が多かったが、いつしか聞かない言葉となってしまった。


おっさんに少女の気持ちが乗り移り、年端もいかないアイドルがその似せた感情を歌うのを「昔の歌は良かった」と懐古するだけでも、余程の作詞能力だったと窺い知れる事が出来るが、どうしても不完全なものに美しさを見出そうとするきらいがあり、下手な言葉でも自分の言葉で歌っていいんじゃないかなと思ってしまう。


完全なものより不完全なものが圧倒的に多い世の中にあって、うまくいかない、思うようにできないと足掻くことは何も悪い事じゃない。


「狼になりたい 狼になりたい ただ一度だけ」と願うも、ただの一度も狼になれない情けない男を誰が笑うことができようか、何故か自分も嫌いになれない。


中島みゆきが描いた人物像は、半世紀近く経ったいまも相変わらず人間は人間のままで、それは隣人でもあり、自分のことでもあるようだ。


中島みゆきの「狼になりたい」が好き。


おはよう。