ポーグスの「dirty old town」が好きだ。


ポーグスはロンドンで結成されたバンドで、アイルランドなどの伝統的な音楽をアレンジして愛されたバンド。


今の日本で言ったら、民謡クルセイダーズがやっている感覚に近いのかな。


ボーカルのシェインはお酒が大好きでベロベロになりながら歌うけど、どれくらい酔っているかというとメインボーカルなのに一度バンドをクビになるくらい。


最後の来日となった2012年のスタジオコーストでも、シンガロンしたくて覚えていったけど、登場からベロンベロンに酔ったシェインは(それはそれで大盛り上がりしたけど)まともに歌うことも出来なくて、dirty old townに限っては、1番しか歌わないで終わっちゃって、それを見たスパイダーステイシーが外国人特有の「ダメだこりゃ」のジェスチャーをしていたのは今となっては良い思い出。


シェインはそんな酩酊状態でありながら、後年は「神と交信していた」といわれるくらいに綺麗な詩を書くんだけど、この「dirty old town」はイアンマッコールが書いた曲のカバー曲。


ポーグスを好きな人ならマッコールの姓に反応するかと思うんだけど、このイアンマッコールは「ニューヨークの夢」でデュエットしたカースティマッコールのお父さんなんだよ。


若くして亡くなってしまったカースティマッコールなんだけど、件のスタジオコーストの来日公演ではカースティの娘がお母さんさながらの容姿や歌い方で魅了して、本物のカースティだと思った人もいたんじゃないかな。


なんで「dirty old town」が好きなのかというと、外国人の書く詩は訳すとピンとこないことが多いけど、この韻文詩は故郷である薄汚れた工業都市を愛憎入り混じる感情で歌っているから。


生まれ育った故郷なんてのは、人々にとって良い事ばかりではないし、悪い事ばかりでもない特別な場所だと常々思っている。


例えば、生まれた場所は違うけど、青年期まで過ごした高根沢町。


先日行った展示にもあったように、宿場町として栄えた隣の氏家には散歩していても史跡や民話や寓話が多い。


一方の高根沢の栄えているところは山を切り拓いてて出来た町だからそういったものは皆無に等しく、何もないように思えるが、そこで育った自分が見れば、「まだあのボロ屋あるんだ」とか、「この公園でよく遊んだな」とか、「この道は近道だったな」とか些細な感情が蘇ったりする。


「こんな町、何もないよ」という同じ言葉にしても、通りすがりの人が言えばただの悪口になるけど、生まれ育った人が言うとそれはまた違う感情と思える。


お店をしているとわかるけど、地方から来た人に、その街に行ったことがあって、あそこの料理が美味しくて、あの場所は素敵だったと伝えると大概の人は喜んで故郷の話しをしてくれる。その街が小さければ小さいほど。


「波止場から聞こえるサイレンの音


電車が夜に火をつけるのを見た


煙る風に春の匂いを嗅いだ


汚なく古い町


汚く古い街」


「ガス工事のそばで愛に出会った


古い運河のほとりで夢を見た


工場の壁際で彼女にキスをした


汚く古い町


薄汚れた街」



古今東西変わらない人間の感情と愛憎入り混じる故郷を、こんな綺麗な詩で書いた「dirty old town」が好き。


あなたにもそんな街があるといいのに。


おはよう。