今回は、今を意識的に過ごすあり方について
僕が捉える視点のお話をさせていただきます。

これは僕が以前、過去の出来事に捕らわれたり、
未来に対する不安を抱いたりしてしまうときに、
よく意識していた視点のひとつでもあります。

過去や未来のことで頭が一杯になってしまって、
なかなか今にあれないときに捉える視点ですね。

過去や未来を考えること自体が悪いわけではないのですが、
それを考えることで不快な気分になってしまっていたので、
僕はそのような状態から脱出できるきっかけになりました。

不快というのは、不安や悩みなどのパターンが殆どです。

そのパターンの殆どは、過去か未来に対するものでした。

その不安や悩みは、恐れからきていたものだと思います。


僕はできるだけ今を心地よく過ごしていきたいですし、
恐れを抱えたまま未来を創造していきたくないのです。

今を意識的に過ごすことが多くなったことで、
過去や未来に対する捉え方も変わってきました。

過去のパターンから未来を捉えるのではなく、
今ここから未来を捉えていくことができます。

過去の恐れに捕らわれることが減ってきて、
今を心地よく過ごしていくことによって、
心地いい今から未来を創造していけるのです。

今どうあるかによって、未来が決まるということですね。


本当は過去も未来もなく、今しかありませんが、
それを知ってはいても、頭の中は過去や未来を
行ったり来たりしてしまうことがあると思います。

僕達が生きているこの時空という次元では、
過去があって今があり、今から未来に向けて、
時間が流れているように捉えられますよね。

過去、現在、未来という時間感覚から捉えても、
今をより意識的に過ごせるようになってきます。


それは何かと言いますと、今がゴールであり、
今がスタートであるという視点のことです。

過去から捉えると今はゴールであり、
未来から捉えると今はスタートです。

今とは、ゴールとスタートが一緒にあるのです。


ゴールの視点と、スタートの視点はそれぞれ異なると思います。

ゴールの視点では、過去の経験を経てきたのが今の自分であり、
スタートの視点では、未来から一番若くて新鮮な自分が今です。

今の自分は、どんな過去の結果でありたいか、
今の自分は、どんな未来の原因でありたいか、
というような捉え方もできるかと思います。

今の自分は、過去の選択の結果であり、
今の選択で、未来の自分が決まります。

現実的には、良いも悪いもそうなりますよね。

過去の自分は、今の自分の後輩であり、
未来の自分は、今の自分の先輩です(笑)


そして、自分にこのような問いをします。

過去の自分が今の自分を見たらどう思うだろうか?

未来の自分が今の自分を見たらどう思うだろうか?


ちなみに僕は、過去の自分が今の自分を見たら、
残念がられてしまうようだったら辛いですかね^^;

せめて安心してもらえるような自分でありたいです。

そして、未来の自分が今の自分を見たら、
「いい感じだね~!そのままで大丈夫♪」
って思ってもらえたらいいかもしれません(笑)


今を意識的に過ごすというのは、過去や未来を越えて、
今自分がどうあるか、どうありたいかということです。

その為に、あえて過去や未来から見た視点で、
今の自分を捉えなおすのもいいかもしれません。

そのような捉え方は、過去の出来事に捕らわれたり、
未来に対する不安とは異なる認識になると思います。

過去や未来から見ても、基本的な軸は今だからです。

僕の場合は、軸が今というところからブレずにあれば、
頭の中で過去や未来を考えたとしても問題ありません。

それどころか、より前向きになってくる感じです。

前向きさは、僕にとって心地いい状態なのです。


今回は、今がゴールであり、今がスタートである視点から、
過去から見た今と、未来から見た今という捉え方のお話でした。

自分は今どうあるか、どうありたいかということにも繋がります。

ゴールとスタートが一緒である今の視点では、
他にも色々な捉え方ができると思います。

今日は、鹿に会いに奈良公園を散歩してきました♪

最近は表に出ている鹿が少なかったので、
どこにいるのだろうと思っていたのですが、
春日大社の通りにある丘の上で集団を発見。

多くの鹿達は落ち葉の上で休んでいました。

ちゃんと暖かいところを確保していたようです。

落ち葉の上で休みながら、落ち葉を食べていました。

美味しいのかな~と思いましたが(笑)

鹿をじっと見ているだけでほのぼのしてきます^^


今を生きる鹿達の素顔をどうぞご覧ください(笑)


鹿2


鹿1


鹿3


鹿4


鹿5


鹿6


鹿7


鹿8


鹿9


そして、浮見堂に寄って帰ってきました^^


浮見堂1


浮見堂2


浮見堂3



今回は、感情を解放させるお話の続きです。

僕が実際にやった方法のひとつなのですが、
嫌な体験だった過去の出来事を思い出して、
それに対してネガティブな感情が溢れてきたら、
その感情を感じつくすというものです。

これはよく言われていることかもしれませんね。

感情が溢れてくるということは、その出来事に対しては、
解消しきれていない感情が残っているということです。

心の奥にネガティブな感情エネルギーが保存されたままなのです。

もし解消されていれば、嫌な出来事を思い出したとしても、
ネガティブな感情エネルギーが出てくることはありません。
(重い感情であれば時間の問題はあると思いますが)

そのような感情エネルギーが残っているとしたら、
溢れてくるままに感じつくして成仏させるのです。


感情を感じるときにひとつ注意するところは、
過去の嫌な体験を思い出して感情が溢れてきたら、
嫌な体験の物語は深く考え過ぎないようにして、
感情だけを感じ尽くすのがポイントになります。

頭の中のストーリーを外して、
感情だけを感じるということですね。

自分で想像したストーリーの中に浸ってしまうと、
起こった出来事以外のことまで話を膨らませてしまい、
そこで意味づけされた新たな感情が作られるからです。

出てきた感情に紐付けされるようなストーリーが、
どんどん思い出されてくることもあると思います。

終わりのないネガティブなループに陥らないためにも、
過去の出来事として記憶している範囲までに留めます。

その記憶の範囲だけで消化されていない感情だけを、
感じなくなるまで感じつくしていくということですね。

ネガティブな感情を感じないというところまできたら、
ある程度は成仏されて心がスッキリしてくるはずです。

僕は重く抱えてきた荷物が降ろされて、
心が軽くなっていくような感じでした。


嫌な体験だったとレッテルを付けたままの記憶は、
心の潜在意識に刻み込まれているので、無意識的にも、
今を生きていくうえで関係してくることだと思います。

起こってくる出来事に対する無意識的な反応は、
普段は心のフィルターを通して反応するからです。

人としての本能的な反応はまた異なると思いますが、
殆どは過去の記憶で形成された心を通して見ますね。

無心の状態は、物事をあるがままに捉えられますが、
日常生活から無心でいられる人は多くないと思います。


ちなみに僕は、日常から無心になるのは難しいですね。

そもそも、今はそれを望んでいません。

人としての心を通したフィルターで生きていくことが、
自分にとっては普通のことですし、それが世界観です。

無心の状態は、そうなりたいときになっています。

いつの間にかそうなってる場合もありますが(笑)

普段は何かに対して反応する心を持っています。

それが時に、過剰反応するときもありました。

起こる出来事が過去の嫌な出来事と照らし合わせて、
無意識的に過剰反応してしまうことがあったのです。

照らし合わせているのは、恐らく心の潜在領域なので、
それに対する反応の殆どは無意識的なものなのですね。

その心が解放されると、たとえ同じようなことが起こっても、
それに対して過剰に反応することも少なくなってきました。


僕の場合は、嫌だった過去の出来事ほど、
思い出したくないし、感じたくもなかったです。

以前は、その必要性を感じていませんでした。

しかし、過去の心と向き合ってある程度解放された後だと、
「嫌な」「ネガティブな」「重さ」などが外れるのですね。

思い出しても、ただの出来事として何も感じなくなりました。

自分で勝手にレッテルを付けて保存していただけだったのです。

それどころか、その嫌だった出来事さえ受け入れられました。

自分にとって必要な出来事だったと思えるようになったのです。

ネガティブは、それを乗り越える力強い原動力にもなりますね。

ネガティブだとジャッジしていた過去の出来事を、
ポジティブに変換することさえできると思います。

それは捉え方の問題になりますね。

物事をあるがままに捉える視点であれば、
ただそうであるだけなので、過去も同じく、
ただそうだっただけなんだと捉えられます。

現在は、出来事に対して過剰反応したときは特に、
できるだけ内側の心と向き合うようにしています。


過去を振り返りながら行う感情解放につきましては、
大きなトラウマとか、あまりにも重い過去でしたら、
誰かにそばで聞いてもらうことをお勧めします。

とてもデリケートなことですから、信頼できる人ですね。

できればネガティブで大きな闇の過去を打ち明けたとしても、
動揺せずにそのままを受け止めてくれる人がいいと思います。

僕は人に話しただけで解放されるのを実感できました。

聞いてもらったことが一番大きかったかもしれません。

過去の嫌だとレッテルを付けた記憶を人に打ち明けて、
そこから出てくる感情を感じきったことで楽になりました。


些細なことでしたら自分だけでもできると思います。

紙に書きながらアウトプットすることもいいようです。

それは今回のテーマだけに限りませんね。

僕は紙に書くよりもパソコンで打つことが多いですが、
これから紙に書くという習慣も持とうと思っています。