日に焼けた古い写真は40年前のタレント芸人の間寛平さんです。
鳴門海峡を渡るフェリーで長女さんと一緒に並んで撮った生涯忘れられない一枚の写真だそうです。
吉本新喜劇のGMに就任された間寛平さん(72)は時々この写真を見て、その時を振り返り、そこから必死で這い上がり、苦しかったけど、それがあるから今があると感謝されておられるという記事に出逢いました。

(ご本人の声)
この写真の時代を振り返り"忘れたいくらいの記憶ですが、もしかすると、あれが僕の原点かもしれません"。
人生で一番、苦しかった。僕その時、借金で首が回らなくて、一番信用していた人にも裏切られるしで、なにがなんだかわからないような精神状態だったので、当時のことをあまりおぼえていないのかも。
先輩芸人の借金の保証人になり、その先輩たちにことごとく逃げられて、借り先が街金(まちきん)だったからすごい勢いで借金がふくらんでいく。
返済せなあかんと寝る間も惜しんで仕事をしたんですけど、べらぼうに高い金利ですから全然減らない。
で、借金取りが劇場に取り立てに来る、走って逃げる、毎日ヘトヘトです。
そんな状況に追い打ちをかけるように、地方巡業の帰り道に僕、居眠り運転して高校野球を応援に行くバスと衝突事故を起こしてしまい…。
弱り目に祟り目とはこのことですわ。で、なんとか必死で弁償金をかき集めたら、そのお金をなんと友人に猫ババされてしまった。
どん底の、さらにその下のどん底。
さすがにもうダメだと思いましたね。
自家用車に家族を乗せて、徳島にある相手先に謝罪に行ったあと、フェリーに乗って大阪へ戻るところでした。
鳴門の渦潮ってありますよね。
船のデッキからぱっと覗き込むと、ごっつう大きい渦が見える。
ぐるんぐるん潮の流れが回っては消え、回っては消え…。
思い出すと、それをぼんやりと見ていた、気が抜けたようにね…。
頭によぎったのが、この娘の手を引いて一緒にこの渦に飛び込んでしまおう。
みんなでいなくなったほうが楽やと。
今では、娘さんが「お父さんが一番苦しかったことがわかる。これは宝物やね」と言って、その写真を大事にずっと家に飾ってあるそうです。
寛平さんは借金のある中、1989年に新喜劇を退団して単身上京。
当時は漫才ブームが終わり、稼げる見込みもなかった。
そんななかでも、明石家さんま さんの人気はずーっと続いていたそうです。
東京の新生活はベッドもタンスも後輩のさんまさんのお下がりで暮らす。
そんなある日、さんまさんが「兄やん、借金あるやろ。新しい番組あるから、やる?」と『痛快!明石家電視台』に誘って頂けたそうです。
「じゃあ、頼むわ」と、光がみえてくる。
『24時間テレビ「愛は地球を救う」』や「アースマラソン」「淀川寛平マラソン」とマラソンのお仕事のきっかけを作ってくれたのも、さんまさんだったそうです。
マラソン番組のおかげで、バラエティにも呼ばれるようになり、コマーシャルまで入るようになる。
そこからドンドン上向きに。
上向く時って、力んだ自力ではなく、他力による流れでよくなりますね。
(ご本人の声)
今うまくいってない人や苦労している人に、きつい時に自分に聞かせていたように「なんとかなるやろう」で乗り切っていけば、なんとかなるんと違うやろか。
また、どんなに悩みがあってもしっかり寝ることやね。
それと崖っぷちに感じても、生きるか死ぬかなんか考えんと、場合によっては「逃げたらええやろ」とも思いますね。
「アースマラソン」は2年1か月で帰ってきましたが、もしも僕に返せんくらいの大借金があったら、いろんな国を逃げて逃げて、今でもずーっと走ってまっせ!
25歳から約10年間、金融屋さんだった私はドン底を経験して大きく飛躍される人を何人も見てきました。
私自身も29歳の時に約1億円近いの借金地獄(30代前半で完済)を経験します。
(飛躍する為に、どん底人生を生きた方がよいという話ではありません。)
どうしようもない絶体絶命の時って、もう委ねるほかないんです。
抗えば、抗うほど、降参させる荒波は強くなってきます。
自分の経験ですが、次から次へのお祭りのように成長させてくれる陰の出来事がやってきて、ちゃんと杭を掴んでいる手を無理やり引きはなしてくれます。
降伏(こうふく)したら、力みもとれて人生の流れも幸福(こうふく)の方に変わる転機になりますよ。
降参すると自分を素直にだせて、すると周りからもたくさん助けがもらえるんです。
自分ではなく、何か大きな力により漫画のような上向きな展開がやってきます。
人生にはその人を成長させるべく転機に、いろんな登場人物がでてきたり、出来事が起こるべくして起こりますね。
どうも人生は、なんとかなるように出来ています。
以上です♪
今日も自分のベストを楽しみましょう。

