今この瞬間、我以外皆師

今この瞬間、我以外皆師

全ての存在は、自分に何かを教えてくれる先生である―――。日々の「今、ここ」を大切にしながら、学んだことを記録していきます。

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 見るもの、聞こえるもの、触れるもの、出会うもの・・・


 すべて自分の一部である。 


 すべてはひとつなのだ。



 何かに対してしたことは、例えば自分の体の一部に対してしたことのようなものであるから、いつか必ず自分に返ってくる。




 だから、全てのことに、自分は100%の責任がある。


 しかし、必要以上に後悔したり、反省したりすることはない。


 まず、受け入れる。そこから始まるのかもしれない。




 ただ、心の内側の静けさを大事に、一瞬一瞬を生き尽くそうと思う。


 自分のできることを、自分にしかできないことを世界に対してしていく。

司馬遼太郎『世に棲む日日』を読んだ。



以下引用―――



「玉木文之進によれば、 侍の定義は

   公のために尽くすものである

      という以外にない。」


「武士というものは殿さまに知行をもらい、

  百姓たちに養われているものである。

   養われ者であればこそ恩にむくいなければならない。」


「しばしば計画をたて、その計画はしばしばつまづいてきた。

  しかしながら、志はますます壮んである。

   この志が壮んなかぎり、

    吉田寅次郎はどこに、どういう窮状にあっても、

     かならず学を成すであろう。」



勉強になる――。



4月からは、“侍”意識で、何があっても志を忘れず無我夢中で自分を鍛えていきたい。




この間の研修で学んだこと


①「自己中→他己中」へと意識をシフトさせ、

②身だしなみやホウレンソウ、名刺の扱いといった具体的な実践レベルに落とし込み、

③ひたすらに繰り返して体で覚えていく

ことが大切である。



そこから派生させて・・・



【人が“愛”に満たされている状態を、個人の感情レベルで表現するなら、“心の内側の静けさ”ではないか。】

 スラムダンクやバガボンドの作者・井上雄彦さんが、バガボンド32巻にこんなコメントを残されていました。

 「作品をつくるのに何が必要だろうか

  技術か、知識か、才能か、努力か

  理想か、情熱か、賞賛か、批判か

  

  心のうち側の静けさ

  今それを大切に思っています」

 この、“心のうち側の静けさ”についてですが、以前斎藤さんにご紹介いただいた「ソース」において、ワクワクについて「人が本当に自分のワクワクすることをしている時は、心は不思議なほど穏やかな静けさに満たされているものだ」といったような記述内容と共通するものがあると思いました。

 つまり、人が本当に自分のなすべきこと(潜在レベルで求めていること)をしている時は、燃え上がるような高揚感というよりは、心の中はふっとしてほっとするような穏やかな温かさで満たされているのではないか。そのような状態こそが、自らのソースと調和した状態であり、心が“愛”で満たされている状態と言えるのではないかと考えています。

 おそらくは、「自己中→他己中」へと意識がシフトしている時も、心は同様な静けさに満たされてくるのではないかと思います。 もしかしたらそれこそが、柳生兵法家伝書に記されていた“平常心”にもつながってくるのかもしれないと考えるようになりました。

森山直太郎『声』より

 ―――愛とは 何も語らず 静かに そっと 肩へかかる雨

【他人は、自分である】

 もし、

①量子物理学で言われているように全ての物質には意識が宿っていて、

 ②全ての人間はユングの云うように集合的無意識でつながっており、

 ③全ての人の中にはマザーテレサの云うように“キリスト(神格)”がいるのだとしたら――

 自分は、世界の全ての人とつながっているという表現だけではなく、“=”で結ばれている、と言ってもいいのではないかと最近では考えています。

世界とは、人間が考えている以上に、外的なものではなくむしろ内的なものであるかもしれません。

・人は「自己中」になるとなぜ苦しむようになるのか…本来は自分の一部である他者を排することで、そのツケを自分が支払わないといけなくなるから

・人は「他己中」になるとなぜ楽になるのか…自分という存在の本来的なあり方へと回帰できるから。“自分”に対してしてあげたことは、必ず自分に返ってくるようになっているから

「他己中」を究極に進めていくと、自分と他人の“境界線”のようなものがなくなってくるのではないでしょうか。おそらく、「パワーか、フォースか」にある意識レベルの高低は、“世界”と“自己”との一体感の高低に関係してくるのではないかと考えるようになりました。 

自分の潜在意識に溜め込んできた“記憶”も、他者との“境界線”もなくなった状態―――それがホ・オポノポノのいう「0」状態なのではないかと思いました。