2023GWの過ごし方 ③石川啄木VS宮沢賢治編 | 『5時からアイドル』まきりん社長ブログ

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朝は「仕出し屋まきりん」からスタートし、昼は「株式会社のびあという企画とPR会社の社長」、夕方は「5時からアイドルまきりん」となる人のブログです。
もと金髪長女とW王子こと双子男子の母で岩手県滝沢市在住。
カラオケの十八番は「あゝ無情」

※宮沢賢治と石川啄木のファンの方が

たまたまこのブログを読んだとしてもどうか怒らないで「ふーん」とやり過ごしてください。

 

 

5連休スタートの5/3、どこに行こうかと思案し、
「絶対に混んでないであろう観光地」盛岡市玉山区の石川啄木記念館へ行ってきた。

 

 

 

実はここ、初めて行った。
(〇〇記念館と名のつくものって案外、地元の人って行かないよね)。
 

 

さて、岩手が産んだ文学界の偉人といえば石川啄木(1886年~1912年)
と宮沢賢治(1896年~1933年)。

 

「そのどちらと友達になりたい?」と聞かれれば

間違いなく、宮沢賢治だ。

 

 

だけど、どちらにより人間的な魅力を感じるか?と問われれば

石川啄木なのだ、私は。

(お金の無心をされたり、女友達を紹介してといわれそうで

友達にはなりたくないけども)

 

 

宮沢賢治さんは、ひとことでいうと立派すぎるのだ。 

 

 

有名な、雨ニモマケズ

 

「欲はなく、決して怒らず、いつも静かに笑っている人」でいたいといい、

「東に病気の子どもがいれば行って看病してやり、

西に疲れた母あれば行って稲の束を負い、

南に死にそうな人がいれば行って怖がらなくていいといい、

北に喧嘩や訴訟があればつまらないからやめろといい」

 

 

私が共感できないのはここからで、

こんなに人のために尽くす人になりたいのに

 

「みんなにデクノボーと呼ばれ、ほめられもせず

苦にもされず、そういうものに私はなりたい」

 

なんで?

なんで?
なんでぇーーー???

 

欲はなく、の人なので

ほめられなくていいは、わかる。

 

けど、

「デクノボーと呼ばれたい」

はないんじゃない?

 

 

これって、究極のMではないか?と知人と話したことがある。

 

宮沢賢治さんはあまりに高尚すぎて

「なんかこう、だらしないとこないの~?」と言いたくなってしまうのだ。

 

 

対する石川啄木

 

この人は破綻してる。

 

 

事実、啄木記念館には

借用書とか新聞社をクビになった記事とか

節子夫人以外の女性とやりとりしてた手紙の数々が

展示してある。

 

 

新聞社をクビになった記事というのは

啄木本人と連絡がつかなかったのか
住所不定だったのか

「お前はクビだ」っていうのを

当時(北海道の新聞社)の新聞に掲載したという

摩訶不思議なものだし、

 

大分の小説家志望の女性との文通は

啄木が作品を添削指導するために始めたものなのに

「よければあなたの顔写真を送ってくれないか?」などと

ぬけぬけと書いている。

 

 

ほにほに、石川啄木という人はお金と女にルーズだ。

 

 

もともとこの啄木記念館は

渋民小学校の一室に資料館としてあったものらしい。
ある校長先生が
「石川啄木の出身地なのに資料館のひとつもないのはおかしい。」と思い、
展示品の収集を開始したのだが

26才という若さで亡くなったからなのか、めぼしいものがなく、

いろいろな方に資料の提供を呼び掛けて展示室としたらしい。

 

 

そうやって啄木とゆかりがあった方や、その遺族の方から提供されたものが

借用書やラブレターという恥部の類なのだから

こうやって展示されている以外にも、同じようなものはあるんだろうなあと思うのだ。

 

 

その啄木の才能を信じたのが節子夫人。

姑とうまくいかず、一度は家出しながらも献身的に啄木を支えた。
(「節子が家出してしまった」という手紙もたしか展示されてたと思う)。

 

2人の結婚式に啄木が出席しなかったっていうのは有名な話だけれど

さすがに、この時は「結婚やめたらどう?」という声が多数、あったらしい。

 

 

エライ、偉いよ、節子夫人

 

理想を追い続け(というと聞こえがいいが)

その後も放蕩を繰り返す啄木を、啄木が好きな紫の着物を着て、出迎えたというよね。

 

 

 

 

そういえばこの記念館を見るまで

節子夫人が1年間だけ滝沢の篠木小学校で代用教員したというのも
知りませんでした。

 

 

啄木は

「愛した女性は他にもいたが、節子をいちばん愛している」

といい、
一方で

「女性が男性に翻弄されるのはどうか?」ともいう。
 

これは、「女性も経済的にも自立すべし」という意見といわれているらしいけれど

真意は「いやー、自分みたいな男と結婚しちゃってさぁ」

という自己弁護じゃないだろうか?と思うのだ。

 

本当に「たらし」で「ジゴロ」なのだ。

 

 

聖人君子の宮沢賢治と
良くも悪くも人たらしの石川啄木

 

 

ともに存命中は

作品が売れたわけでもなく、

死後に評価されたという点では共通している。

 

 

~啄木の「悲しき玩具」より~
 

新しき明日の来るを信ずといふ

自分の言葉に嘘はないけどー

 

「けど」の後はなんて書きたかったんだろうなあ

 

 

 

 

 

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