私の名前は成瀬葵。現在二十三歳で社会人一年目。東京都内にある小さな二階建ての一軒家に、会社員の父と小説家の母と一緒に住んでいる。他人が聞くと親の片方が作家なのは珍しく感じられるかもしれないが、私の家では日常生活には殆ど関係がなく、何ら特別に感じない。母はそこそこ人気のある作家のようだが、ペンネームで活動しているし、メディアに顔を晒すほど有名でもないので、私にとっては著名人でもなんでもない。普通の主婦であり、母親なのだ(実際、私の友人に母が作家をしていることを知っている者は誰もいない)。そんな、殆ど認識できないほど小さな一部分だけ世間一般とは違っているが、あとはあまりに平凡で、穏やかな家庭で過ごしてきた。
父はとても静穏な心の持ち主で、私を叱りつけることはあっても怒鳴ったり暴力を振るったりすることは決してなかった。娘のことにはあまり介入せずに離れて見守り、他者に不利益を与えない限りは基本的に私の自由にさせてくれた。母は明るくよく喋り、笑っていることが多かったが、その反面私に似てとても傷付きやすい人でもあった。だからだろうか、父同様、私に厳しく接することがあまりない。娘が何か過ちを犯しても、穏やかな言葉でじっくりと諭すのみだ。
自分が繊細なのは自分が悪いからであり、両親が原因でないことは分かっているのだが、それでも時々考えてしまう。もっと厳しく育てられていれば、今の職場でももっと堂々と振る舞うことができたのではないだろうか。今まで苦労してこなかったから、そのつけが回ってきたのではないだろうか。私は優しく愛情深い両親が大好きだし、育ててくれたことに感謝しているが、今置かれている状況を思うと複雑な気分だ。
私は都内の中堅私立大学を卒業した後、新卒採用で今の会社に入社した。総菜の製造、販売を手掛ける会社だ。全国に四十六の店舗を持ち、東京に本社ビルと食材の加工をする工場を所有している。店舗は私の職場のような単体の店と、百貨店の食品売り場に出店する店とがある。社員数は本社、工場勤務を含めてもせいぜい二百人程度。まだ若い小さな企業だ。一つの店舗の従業員数は概ね二十~三十人で、各店舗で勤務する正社員は通常二人、売り上げの高い大型店舗で三~四人。売上の低い小型店舗では社員が店長ただ一人という場合もある。その他は全員パートやアルバイトといった非正規雇用だ。パートは全員派遣社員で、それぞれ派遣会社が異なるため時給もひとりひとり違う(アルバイトは会社から直接雇われるため時給千円で統一されている)。そのため時給の違いで人間関係が拗れやすい。そのような従業員形態故、職場内に摩擦が生じやすく、社員への負担は大きい。チェーンの居酒屋やファミリーレストランのような飲食店に比べれば負担は小さいのかもしれないが、それでも繊細で脆弱な私には大きすぎるものだった。
私は現在東京都内の中型の単体店舗に配属されている。入社してからずっとこの店だ。この店では商品は筑前煮やひじき煮のような昔ながらの和惣菜が中心で、その殆どが量り売りだ(店舗によって店長が好きなように商品のラインナップを変えることが許されている)。百グラムあたりの値段が決められており、店員は客の注文を聞き、指定された分量を透明なプラスチックの容器に入れて重さを量り、値段を算出し、販売する。焼き魚などの単体ものは個数で販売するが、種類は決して多くはない。
店内には顧客のスペースと店員のスペースを分かつカウンターが置かれ、その上にガラスケースがのせられている。ケースの中には大規模な立食パーティで使われるような、大人数用の大皿が多数並べられ、惣菜が山の形に盛り付けられている。汁物はボウルのような形の底の深い容器に入れられている。惣菜の種類は三十ほどだ。皿と鍋にはそれぞれトングが備え付けてあり、店員はそれらを使って商品をカップに盛る。汁物にはお玉杓子を使う。
私は主に接客と、食材と備品の発注、売り場のシフト作りなどの事務作業の一部を担当している(厨房での商品の調理は店長と副店長が主に担当しており、私は殆ど携わることはない)。接客の仕事では複数の作業を同時に、一秒でも早くこなすことが求められる。当たり前のことだが客を待たせてはならず、常に店全体を俯瞰し、注文をせずに待っている客はいないかを把握しなくてはならない。加えて、足りない商品はないか、汚れている箇所はないか、盛り付けは汚くないかなど、常に様々なことに意識を分散して向けていなければならず、私はそれが大変不得手だった。
客から注文を受け、カップに指定の量をよそい、ガラスケースの横に備え付けられた専用の計量器で重さを量り、値段を計算する。客に値段を伝えて了承を得、他に注文がなければそのまま会計する。店員のスペースの奥にあるレジで会計を済ませ、商品をビニール袋に包み、お釣りとレシートを手渡し、お礼の言葉を述べ、店から出ていく客を見送って接客は終了となる。これほど作業の手順は多いが、客を絶対に待たせてはいけないのだ。時間をかけ過ぎると痺れを切らした客が怒りだす。彼らは注文して代金を支払うのみなので、どうしても多少は空白の時間ができてしまうが、この時間を如何に短くするかが肝要だ。
しかし、吉田のファンの爆弾客のように、中には異様に気が短く、すぐに怒りを爆発させる客もいる。そういった客は大概「日頃の鬱憤を晴らしてやろう」という魂胆が透けて見える。また、「こちらは客なのだから、店員には何を言っても許される」と考えている者たちも実に多い。私の勤務する店は、この辺りでは有名な高級住宅街の近くにあり、客層も自然と高所得者の割合が高くなる。加えて和惣菜を中心に取り扱う店ということもあり、中高年の客が大半を占める。高所得の中高年を批判するつもりはまったくないし、全員がそうだと偏見を抱いているわけでもないが、何故かこの店に足を運ぶ客には、男女問わず気の短く、店員を遥か下に見ている者が多い。そういう者たちは、少しでも商品を包むのが遅いと苛立ちを露わにし、店を震わせるほどの大声で暴言を吐く。
「とろいんだよ、この役立たずが!」
「早くしやがれ!」
「客を馬鹿にしてんのか!」
「ズブの素人が!」
私は(他の従業員もだが)よく彼らからこのような暴言じみた叱責を受ける。激しい剣幕で怒鳴りつけられる。怒りのあまり拳でガラスケースを叩く者もいる。彼らが発する怒気は私の肉体も精神も一挙に震わせ、冷静さを奪い取る。怒りを叩きつけられる度に、私は慄きながら必死に「申し訳ございません」と謝罪をする。作業が遅いのは当然自分のせいなので悪いのは自分だ。他の誰でもない。だから、遅いことを責められることは苦しいが受け入れられる。受け入れ、改善しなくてはならない。仕事なのだから、それで給料を頂いているのだから当然だ。甘えは許されない。だが、暴言をぶつけられることだけはどうしても受け入れられない。そこまで言われなくてはならない理由が見当たらず、理不尽に感じてしまう。ぶつけられる度に胃が縮み上がり、心臓の鼓動が激しくなる。下腹部に棘だらけの鉄球が落とし込まれたかのような痛みが走る。呼吸が乱れ、身体が引き攣る。毎日「申し訳ございません」を繰り返しているため、いつしか少しでも他者の怒りを感じると反射的にその言葉が口をついて飛び出すようになってしまった。暴言を理不尽に感じてしまうのは甘えなのだろうか。いつも思い悩んでしまう。
私は自分が精神的に脆いことに大きな負い目を感じている。何故こんなにも脆弱な人間として生まれ落ちてしまったのかという思いを、頭の外に追いやれない。何でもない苦しみが、とてつもなく大きなものに感じられてしまう。少し叱責され、罵られただけで狼狽し、自身に激しく落胆してしまう。しかもそんな自分を鼓舞し、再び仕事への士気を高めるまでかなりの時間を要するのだ。落ち込みやすいくせに立ち直るのが遅い。落胆したときは苦しみを肯定的に捉えることができない。この苦しみが私を成長させてくれると思えず、ただぐだぐだと悲しみや自身への怒りに溺れているだけ。精神が脆い「近頃の若者」の典型だった。どうしようもない人間だと自分で思う。
もともと持っていた負い目の種が入社式で発芽し、この店舗で成長して大輪の花を咲かせてしまったのだ。そして、花は枯れることなく今なお成長を続けている。別の負い目を目覚めさせ、それを取り込みながら肥大化し続けているのだ。
私には苦手なことが絶望してしまうほど多いことも、呼び覚まされた負い目の一つだ。例えば、複数の作業を同時にこなすこと、作業を効率的に素早くこなすこと、そのために段取りをしっかりと組むこと、その場の状況を俯瞰し、現場全体を把握すること……。仕事をする上でこれらのことが苦手なのは致命的だと思う。しかも性質の悪いことに、私は何かを覚えることも人一倍時間のかかる人間だった。普通の人がせいぜい二、三回で習得できることも、私は四回も五回もかかってようやく習得するという有様だ。おかげで周囲に不利益を与えることが多く、就職して半年足らずで、もはや完全に職場のお荷物と化してしまった。常に周囲から「遅い」「使えない」などと言われ続け、挙句に「給料泥棒」とさえ言われる始末だった。