大学入学後は、ただ無気力に一日一日を消化していく日々が続いた。何もかもやる気を失っていた。私は東京の安アパートで一人暮らしを始めたのだが、親元から離れたことが唯一の救いだった。もう四六時中誰かに非難されずに済むからだ。しかし、幼い頃から責められ、激しい感情をぶつけられ続けてきたという忌まわしき経験は汚泥となり、私に纏わり付いて離れなかった。
時給がいいという理由で始めたアルバイト先で、私は自分の打たれ弱さに愕然とした。私は最寄り駅の近くに位置するスーパーマーケットで働いていた。東京だが都心に位置してはおらず、チェーン店でもない。完全に個人経営の店舗で、従業員数も少なく、和気藹々としていた。業務内容は加工食品の棚への陳列と発注という至って簡単な作業だ。そこで何か重大な過失を犯した訳ではない。いじめのような仕打ちを受けた訳でもない。先輩のアルバイトや店長、その他の社員たちは優しい人が多く、滅多なことでは声を荒げることはなかった。現に、私も激しく叱責されたことは殆どない。だが、どれほど相手が言葉に気を遣い、柔らかく注意してくれても、何故か「迷惑を掛けてしまった。自分は役立たずだ」という激しい自責の念に襲われた。注意される度に、父母に責められたときに感じた心の痛みが蘇ってくる。少しきつい言葉で注意されると吐き気を催すこともあった。普通の人からするとさほど気にならないことのはずだ。なのに、言葉のひとつひとつが頭の中で勝手に巨大化し、強い衝撃を与えた。そしてそれは、私の今までの叱責された記憶を掘り起し、それまで生きてきた人生全体を揺さぶるのだった。
結局、自分の心中で勝手に大きくした衝撃に耐えられず、僅か三ヶ月でアルバイトを辞めた。注意してもらえることは有難いことのはずなのに、ただ辛いとしか感じられない自分が社会不適合者に思えた。
アルバイトを辞めてから更に堕落した日々が続いた。勉強に対するモチベーションは既に消失しており、ただ出席日数のために大学へ行く日々を送った。人と関わることが嫌だったのでサークルには入らず、昼食もいつも一人でとった。目標もなかったので、授業は必修科目以外、楽そうなものを適当にピックアップした。出席日数のために授業に出て、おもしろいと思えない講義を聞き、試験で困るからという理由でノートを取る。友人が誰もいないので、うっかり居眠りもできず、出席表の代理提出も頼めない。
帰宅後は、昼間でもカーテンを閉めて電気を消した薄暗い部屋で、布団の上に仰向けに寝転がり、古びた天井を眺めるのが日課になった。大学生活を謳歌したいと思っても、もうそんな気力も体力も残っていなかった。若さから生み出される夢や希望といった情熱的なエネルギーは枯れ果て、砂漠の地面のように乾きひび割れた生気のない心だけが残っていた。
暗い部屋の中で一人悶々と天井を見詰めていると、濁った思考にどんどん引きずりこまれていく(大学へ行っても会話する相手は誰もいないので、自分が触れる言語は思考やそれが生み出す独り言、そして物語だけだ)。蟻地獄か底なし沼のようだ。そして、そのような思考は大抵良質なものではない。私の場合は将来への不安だった。三ヶ月程度でアルバイトを辞めてしまった事実は、寝床に抑え付けるように私に重くのしかかる。アルバイトだ。社会人(正社員)としての仕事に比べれば負荷は遥かに小さい業務だ。それを放り出した。いや、正しくは業務自体には何も苦しさは感じなかった。叱責に対してだ。業務が重大さを増し、重い責任が伴えば、失敗したときの叱責は、周囲への不利益は、格段に跳ね上がるだろう。それを思うと、耐えられる気がまったくしない。
就職などまだまだ先のことなのに、そんなことに本気で怯えていた。大学生活はまだ始まったばかりだというのに。楽しさなどというものは日々から完全に欠落していた。大学に行っても落ち着かない。周囲から、アルバイトを二年続けて昇給した、三つも掛け持ちしているなどという話が耳に入る度に、社会に出ることへの怯えが刺激され巨大化した。皆平気でやっているのに、どうして私は耐えられなかったのだ。そんな言葉が聞こえてくると、いつも私は耳を塞いでその場を離れた。
私は逃げるように読書に没頭するようになった。何も耳に入れたくないので、空き時間は大学の図書館で好きな小説を貪るように読んだ。私語厳禁なことがこれほど有難いと思ったことはなかった。周囲の声から逃れたいという消極的な動機で好きなことを再開する自分の姿は、後で思い返すと悲しくなる。しかし、当時はそんなことを考える余裕はなかった。ただ耳を塞ぎたかった。
だが、何もしていない時間はやはり怖ろしい。帰宅して布団に寝転がっていると、学校での他者の会話が、待っていたと言わんばかりに脳内で何度も何度も再生されるようになった。深い水の底から空気の泡が上り、音を立てて水面で弾けるように浮かんで来るのだ。自室にまで入り込んできたそれを見たくなく、家でも病的なまでに架空の物語を求め、浸るようになった。
しかし、そうして本にのめり込むほど、空白の時間は恐ろしくなっていく。夜眠りに就く前と朝目覚めた直後は、際限なく生み出される思考という獣にいつも喰われ、ずたずたの肉塊になった。一人暗い部屋で過ごしたことで弱り果てた私を容赦なく食いちぎっていく獣。肉が裂かれ、骨が噛み砕かれ、血が大量に溢れ流れる。臓物も食い尽くされ、空っぽになった皮と骨の残骸が寝床に虚しく横たわるのだ。涙で頬を濡らして。そんなとき私は急いで本を開く。開いた直後は物語の世界に入り込めないが、すぐに獣は見えなくなり、作品に没頭できるようになる。そうして何とか一時的に獣から逃れることができるのだ。本は私にとっては薬かなにかのようだった。読み終えてしまえば、頭の中に空白ができてしまえば、ここぞとばかりに獣が飛び込んでくるからだ。読んでいない本がないなどということがないように、いつも何冊か未読本をストックした。そのため学校帰りに古本屋に立ち寄るのが習慣になった。とにかく能動的に活字を読んでいないと不安だった。
未来が怖い。社会人になることが怖い。責任を背負うことが怖い。叱責が怖い。怖くて怖くて堪らない。際限なく膨らんでいく恐怖。墨のように濃い黒色で、不快な粘り気が強い。目に見える形を持たないが確かに存在し、私の生活の隅々まで入り込んでくる。そんな恐怖と共に過ごす生活は、真綿がぎっしりと詰め込まれた狭い棺の中に入ってでもいるかのように息苦しいものだった。
二年生になり、成人を迎えても私は変わらなかった。単位のために大学へ行き、帰宅後は読書に没頭する。空白の時間を恐れ、先人たちの残した物語を追体験する。時間は凄まじいスピードで溶けていく。日々は幻想で形作られているかのように、手に触れた瞬間煙のように消え去ってしまう。そしてすぐに次の幻想が顔を見せる。私は両腕を前に突き出し、この幻想の流れを止めようと躍起になるが、止まることなどあろうはずもない。両手はただ虚空を感じるだけ。中身がないと自分が認識している一日はのったりとしていて苛立ちを覚えるほど長いのに、纏まった数か月という時間は日々が抜き取られたのではと思うほど早く通り抜けていく。怖れ故だろうか。止まってくれ、日々よ、時間よ、どうか。私の時を止めてほしい。永遠に「今」に縛り付けたまま凍らせてほしい。そう呟き続けた。
どのくらいの間隔を空けてかは定かではないが、またあの巨大な獣が襲ってきた。夜だった。私の不健康な、芯の通らない肉体に舌鼓を打つ毛むくじゃらで真っ黒な獣。狭い部屋は黄色い机上の蛍光灯だけが灯り、影の割合が大半を占める。ぐちゃぐちゃという生々しい音が部屋を埋める。涙が流れる。私は弱いのだ。社会で生きることができないほど身が、心が細いのだ。それなのに、人間として生を与えられた。こんな残酷な仕打ちはよして欲しい。社会から外れて生きることなど無論できない。社会に適応して生きることもできると思えない。布団の上で丸くなり、ただ獣に食われていく私。突き立てられる鋭利な牙。無へ帰りたい。生を遂行したくない。何もできず夥しい傷を付けられ、弱り果てるのは目に見えているから。生きる力がないのに生命として世に放たれたこの境遇が不条理に思えてならなかった。
時が経つにつれ、獣はより大きく、醜く、異臭を放つようになり、やって来る周期が短くなった。私を食う時間は長くなった。牙が肉を食い破るときの痛みは鋭さを増した。終には真っ昼間の学校でも襲われるようになった。授業中、教授の声が突如遠くなり、獣の唸り声が耳に飛び込むのだ。身体と心に痛みがびりびりと走る。授業中なのに涙が止まらなくなってしまい、机に突っ伏し嗚咽を堪えるのだ。突っ伏して泣き続け、獣が私の残骸を残して去ったとき、顔を上げると別の授業が始まっている。周囲の人間が奇人を見る目で私を見ていることに気付き、大慌てで荷物をまとめ、教室から逃げ去る。そんなことが幾日も続いた。
大学に通えなくなるのに時間はかからなかった。徐々に出席する授業数が減っていき、すぐになくなった。この頃になると、読書をしていても怯えが立ち上がり、視界を覆うようになった。集中力がなくなり、逃げ場を完全に失った。一日中布団に横たわり、空白の時間と獣に食われる時間を通るだけの毎日。無気力と恐怖が交互に襲ってくるだけの毎日。
狂気の足音が聞こえた。それは部屋の周りを、円を描きながら響き、日を追うごとにその円を小さくしていった。私を取り囲むその足音は、一日一日と私に近付き、脳にがんがんと響いた。そしてある日を境に、ついに狂気は私の中に足を踏み入れたのだった。
「死にたい」
その日、ぽつりと出た小さな言葉。一粒の水滴のように小さい。その言葉の粒がぽとりと床に落ち、広がっていく。床と壁を隙間なく染め上げ、空間を侵食しにかかる。すぐに部屋は埋め尽くされ、私の肉体を圧迫した。
「死にたい」
口から発せられると、言葉はすぐに空間に溶け、濃度を高める。肉体には更なる圧力がかかる。不安が押し寄せると「死にたい」と言い、圧迫され、逃れたくてまた「死にたい」を吐き出す。悪循環だった。その言葉を発する度に、私は岩だらけの坂道をぽっかりと口を開けた闇に向かって転がり落ちていくのだった。落ちれば落ちるほどぼろぼろに傷付いていく。傷付きながら、奈落の底に到達することを怖れた。だが底は姿を見せない。落ちる速度はどんどん増していくのに、行けども行けども闇が広がるばかりで、底は一向に見えてこないのだ。もう限界だった。
どうせ私は社会に出ても何もできない。他人の役に立つことなどできるはずがない。子供の頃からあんなに怒られ、誰かを失望させてばかりだった。任されること、期待されることは何一つ満足にできない。それなら私が生まれる意味などなかったのだ。
もう何日も敷きっ放しにしていた布団からゆっくりと立ち上がり、吸い寄せられるように狭い台所へと歩いていく。シンクの下の戸棚を開け、包丁を取り出した。一人暮らしを始めた当初は自炊のため頻繁に使用していたが、最近では、食事はスーパーマーケットの弁当で済ませてしまうのでめっきり使わなくなっていた。「ようやく出番がきたか」とでも言いたげに、包丁がぎらりと鋭く光る。その光は持ち主に悪意を抱いているかのように残忍で、直に最高の仕事を与えられる喜びと興奮に満ちていた。そんな残忍な包丁を見ていると、心が安らいだ。これがあればいつでも死ねる。死は近くにあるのだ。口元が緩んでいる自分に気付いた。もう何年も味わっていなかったこの胸の軽さ。笑いさえ込み上げてきそうだった。
それから数日、枕元に包丁を置いて眠った。血を欲して光る鋭利な刃を見ると、不安は断ち切られた。いつでも死ぬことができる。いつでも楽になれる。その思いで生き長らえていた。私の肉を求める獣も、包丁の光で何処かへ逃げ出す。束の間の安堵。読書よりも即効性のある精神安定剤だった。手首を切ろうか、腹に突き刺そうか、それとも首を切り付けるのがいいだろうか。死ぬ間際を想像し悦に入る。時には何時間も包丁の刃を指で撫でながら、死という闇に逃げ込める甘美な未来を妄想することもあった。妄想の中の死は光を強め、美しさを限りなく増していく。すぐに楽になれるのだ。感覚も感情も記憶も何もかも消滅し、永遠に闇と同化することができるのだ。