今日は昨日の反省を踏まえ、情報の精査と分析、また、その情報の受け手のことを浅はかながら考えて自重して仕事をした。


それが正解かどうかは受け手と結果が決めること。


こちらから暴投しないように、相手がキャッチできるボールを投げるよう、遅まきながら鍛錬しているところだ。


夜は久しぶりにマイケルと呑んだ。


マイケルの集中と選択の徹底ぶりを見習いたい。


自分にとっては、いいカッコしいの鎧を見つける限りぶっ壊して、学びに全振りという集中と選択を身につけなければと思う。


彼と話しているとき、20代のコンプレックスとそれからくる衝動の話題になった。


私も彼も、20代の内にどうしても成し遂げたかったことを幸運にも成就させることができたのだが、今は観客側になってみると、やはり20代特有の「何か成し遂げたい!」とエネルギーを浪費している様が1番観たいものだということで共通していた。


これは年齢は正直関係ないのかはわからない。

とにかく、エネルギーが過剰に注がれて無駄ともいえるほどの衝動が詰まった何かを感じたい。


それは見る側になんらかの期待感を抱かせるからだ。


このエネルギーが有り余っている状態は、どうしても人間では20代までになりがちである。


30代、40代は、そこに円熟味があるかないかで趣きを楽しめるかどうかが変わってくると個人的には思っている。


ちなみに、その有り余ったエネルギーを発散できる時期は人それぞれである。


故に、それが発散できている、もしくは発散できたことがあるのならそれは間違いなく貴重な時間であるので脇目を振らず没頭すべきだ。


今の私には、20代の時のような曲は書けない。




あの時だから作れたし、あの時に作ることが自分の人生において必要だったと思う。


音楽などの創作活動を行う意味はそこにあると思う。


その気持ちを感じている時に作る。


それがなければ、歌ものと言われる曲は作る意味などないと思っている。


ギラギラとした若者にはギラギラと掻き鳴らしてほしいものだ。


マイケルありがとう。