2013年5月

ラジオからは私たちの新曲が流れている。はるきちはツイッターでのリプライ返信に息つく暇がない。大勢の人たちが私たちの新曲を祝福してくれている。完全生産限定品のシングルCDはあっという間に在庫切れを迎えることになる。
 この賛辞の嵐の真っただ中においては、まっとうな人間ならば図に乗ってまっとうならざる行動に打って出て然るべきである。この熱狂を醒まさぬように調子に乗るだけ調子に乗って、反省赤面するのは数年後にSNSの過去の画像記事をみるその時までとっておけばよいのだ。
 つまり、この時の私に求められていたのは生来の阿呆にオーバードライブをかましてブーストさせるだけであった。

 しかし、そのような祝福の嵐に私は素直にその身を任せられなかった。

 なぜならそれらの賛辞は、その曲を産み出した4年前の私に向けての賛辞であったからである。


2009年5月

前年の12月に浮かんだメロディーを推敲して『アメリカと中国と静岡』という曲を完成させた私は、6月初頭にライブハウス『栄タイトロープ』にてこの曲を初披露した。
真冬の禁欲的疑似ホームレス体験、『オニイサン、フィリピ―ナドウ?』以外の語彙を推し量れない、推し量りたくない黒人の客引きと、ファミマの中国人店員チャンさんのおかげでMCの最中に笑いの赤外線センサーを四方八方に張り巡らし、タイトルコールにて爆笑を勝ち取ったのちに恐ろしく静かなバラードを歌い上げるという、緩急自在も過ぎたるが及ばざるがごとくその場にいたほとんどのオーディエンスを見逃し三振に打ち取ったライブであった。 
 その場にいたほとんどのオーディエンスの人数は、共演者を含めて10名であった。

その10名の中に、5月のイベントで私を知り、8月に付き合うことになる女性がいた。彼女も例によって失笑していたが、何故か2人は付き合うことになった。その嬉し恥ずかし赤面必死の経緯に関しては目を通すに値しないと読者諸賢は判断するであろうから語らない。私も無用に傷口を抉りたくはない。

彼女についていくつかの情報を提供する。

 雑貨づくりが好きで、私と知り合ったのも彼女がそのイベントに雑貨を出品していたからである。その作品センスはクリエイターズマーケットで賞を勝ち得たこともあるほどだ。

 雑貨などに疎い私にはわからないが、彼女が『可愛い』というものにはある一定の傾向(整っているものより手作りで作られたもの、彼女の作品には希薄な昭和らしい色彩をもっているものなど・・・)が何となく認められる。

 ペーパードライバーであり車の運転は下手であったが、一人乗り中古スクーターしか所持していない私のために頑張って運転を練習してくれた。

しかし一番は何かしらの芸術にお互い貪欲で、雑貨、音楽双方に共通する『モノづくり』に関する議論をビール片手に延々と出来るところである。

作り手としての矜持、センスの磨き方などお互いに語り合ったものはとてもここでは語りつくせない。純粋に、磨きあって成長するだけで喜びが感じられた。『雑貨』と『音楽』という土俵の違いもよかったのだろう。

しかし、私は静岡に帰りバンドも脱退。一か月後には彼女とも別れた。

その年の年末のmixiブログに『いい意味であなたと別れてよかったと思う』とコメントをもらった際には彼女の真意を量り損ねつつも、彼女がかつて愛した自分でなくなっていきつつある自分を納得させようとしていた。

バンド復帰以後の私は次第に調子を崩していき、曲が全く書けず、自信も喪失しながら3年ほど踏ん張っていた。彼女の方はSNSでも見かけなくなり、別れてから一年間は活発だった制作活動の進捗も窺い知れなくなっていった。

バンド自体は着実にステップアップしていたが、私個人でいえば彼女と語り合っていた私自身を超えられていない葛藤を感じていた。超えようにも曲を作れていなかったからである。しかし曲は浮かばない。どんどん自信を喪失していった。

そんな中、『この曲を出したい!』というはるきちの鶴の一声で『アメリカと中国と静岡』はリリースされたのである。

この作品がラジオに乗って、彼女も聴いているかもしれない環境で流れてきた時、私はバンドアレンジ中、レコーディング、撮影中は全く感じなかった息苦しさに襲われた。

今の僕らにはこの曲はどう聴こえるんだろう?あれだけ語ってた情熱は今どこにある?自信も何もなくなった俺だけどいろんな人々に引きずってもらいながらこの曲がいろんな人に届けられたよ。あなたはどうだい?

衝動的にPCを立ち上げて2日間、産み出さなければ、届けなければと憑りつかれたように曲を作り上げた。何も産めなかった4年分の想いが私を突き動かしていた。もうこのバンドでやるか、弾き語りでやるかなんて考えず、ただただ書いた。気が付けば歪な展開のデモ音源が出来上がっていた。

この物語の続きは発売日以後にしかわからない。

ただ、『時を戻したい』と唄った唄ではないことは明確にしておこう。これは、今は会えない人に自分の成し遂げたことが届くよう歩き続ける人のための唄だ。『宛名もないけど君に届くかな』と手探りで、でも着実に歩く人のための唄だ。そばにいなくても心を支えてくれる人への感謝の唄でもある。皆さんの心の中に浮かぶ人はいるだろうか。もしいるのならばその人の目を直視できるよう歩いていかないか。昨日までがだめでも今日からでいい。最悪なのはやらないことである。

あの日のガラガラな客席の暗がりも、笑い声も鮮明に思い出せる。

『僕の風の便りで背中を押せたなら』この曲があらゆる人の背中を押すことを願ってやまない。










この曲のタイトルは森見登美彦さんの『太陽の塔』にインスピレーションを受けて命名しました。氏の小説も是非ご一読いただければ幸いです。