私の手元には無数の粗い録音状態のCDがある。その多くは私以外の誰にも聴かれぬままひっそりと枕元の48枚収納可能なCDケースにおさまっている。

私にとってそのCDを聴くという作業は、過ちを重ねなければ成長できないという青春の残酷な一面と向き合わねばならないことを意味する。つまり、少々の恥ずかしさと覚悟を持って再生ボタンを押さねばならぬのだ。

一番古いもので2008年3月に録音されたものから、一番新しい2009年10月に録音されたものまで。1年半の歳月と経験が私たちに及ぼした影響がスピーカーから雄弁に鳴り響いている。人間というものはかくも変化するものなのか。

音楽は雄弁である。おそらくは、言葉以上に。

2007年6月

ウィスキーとアルバイトに明け暮れていた大学1年生の終りのこと。さまざまな経緯の末に私は倦んでいた。キャンパスの喧噪をよそに。

私はどうしても周りの大多数の新入生や、大学生活を満喫しているであろう、学友と談笑しあい肩で風を切って歩く学生たちになじむことが出来なかったのだ。

私の周りの多くの新入生の誰しもが、この大学にきて、つまりは過去の自分をまったく知られることない新しい環境で自分を生まれ変わらせようとしていた。

当たり前だが、人は変わってゆくものだ。変わってゆく周りの環境に対して、かけがえのない自分の核を守るために。それは1つの真理である。

しかし、キャンパスのそれは私の眼にはアレルギーのように映った。戸惑いのあまり、彼らの『波』に乗れなかった。そして彼らは『波』に乗り遅れたものに対してどこか排他的であった。

ここまで格調高く文章を綴ってきたが、要は大学デビューしそこねたのである。

Ba.ブルマンから見た当時の私は、俗に言う『陰キャラ』であったらしい。そして、今も昔もそれは否定しない。

もし私がもっと明るいやつだったら、オリコンチャート10位を狙えるポップロックバンドを結成している。ひとりぼっちの部屋でフランクザッパを聴きながらニヤニヤすることなど断じてない。

かたやKey.マイケルは最初は大学デビューに成功するが、1年もたつと友達がいなくなっていた。

やさぐれた私はそのような日々の中でキャンパスから遠ざかり、サークルの部室とアルバイトにしか顔を出さなくなっていった。

マイケルは諦め悪くキャンパスで孤軍奮闘していた。

そして更に恥ずかしいことに、私は当時勤めていたアルバイト先で怒られてばかりいた。簡単な仕事にも集中力を欠き、ミスをして怒られ、それで萎縮してさらにミスを犯すという悪循環の輪廻が更に私を孤独なものにした。

私は身をもって、マイケルは高校時代をもって『みそっかす』な状態とはどれほど精神を苛むものかを思い知ったのである。