「イギリス料理は ...... 期待しないほうがいいですよ」 大原先生は笑いながらおっしゃった。出国前にご挨拶に行ったときのことだ。

「はい、わたし、大丈夫です。それより、勉強一途で頑張るので」と陽子も気楽に笑っていた。   

 それなのに、念願だった留学生活を始めてみると、なかなか思うようにならないことばかりで、食べることが大きな楽しみになっている。もしこれがなければ、この大変な留学生活を、とても続けられない、と思うくらいにだ。それほど毎日励まされ、支えられている。   

 

 英文学を勉強したからには(本当はちょっとかじっただけだけど)、一度は本場で学んでみたいと夢見ていた。何年も機会を求めて悪戦苦闘した末に、とうとうイギリス北部にあるハル大学から、入学許可の知らせをもらった時には、天にも昇る心地がした。

 しかし、喜びもつかの間、今年の十月に入学して以来、アップアップしている。イギリスでは地方の大学だからといって、大学のレベルが下がるわけではないし、そもそも陽子の語学力では、講義もクラスも聞き取るのが精一杯で、イギリスに来て住んでいるからといって、すぐさま慣れて上達するものでもなく、いくら勉強しても、みんなについていくのがやっとだ。

 

 イギリスでの英文学科は、日本での国文科にあたり、当たり前だが、読む本の量が多い。母国語なら早く読めるものも、英語で全部読むのは、ひどく時間がかかる。 陽子と同じ大学の学生寮に住むイギリス人の友人たちは、

「課題図書が多すぎる」

「レポートが大変」

「大学って、忙しすぎる、助けてー」などと毎日こぼしてはいるが、そのわりにはパーティだ、ダンスだと、けっこう大学生活をエンジョイしている。陽子にはそんな余裕はまったくない。ひとり、小さな自室に閉じこもって勉強するしかない。

 グループ指導の小クラスで、「次回までにジョゼフ・コンラッドの『闇の奥』を読んでくること」という宿題が出れば、イギリス人たちは、「『闇の奥』って、ベッドで一時間くらいで、平気でしょ?」などと話している。イギリスでは学生に限らず、就寝前にベッドの中で本を開く人が多いらしい。でも、陽子がそんなことをしたら…。それでなくても毎日睡眠不足だから、そのまま朝まで熟睡してしまうに、きまっている。週刊誌ならともかく、課題に出されたその小説は、ペーパーバックで百ページちょっとではあるが、活字が小さく、行間もぎっしりつまっていて、陽子としては、きちんと机に向かって、三時間はみておかねばならない。

 

 作品を読んで、講義を聞いて、小クラスで討論した後は、レポートの提出を求められる。質問に答える形でまとめる小論文は、これも当たり前だが、英語で書かなければならず、筆が進むわけがない。一つのレポートに手こずっていると、次のレポートの宿題が出て、その次も、その次もと押し寄せ、すべての提出期限が迫ってくる。

「こんなはずではなかった」と言ったところで、もう遅い。日本で大学生だった頃の、気楽さ、楽しさ、遊んでいても最後には何とかなる、というような余裕や甘さは、ここにはまったく存在しない。ただひたすら、ひとつずつこなすだけだ。

 

 そんな厳しい、せっぱ詰まった毎日の中で、陽子が唯一ほっとできるのが、「食事の時間」だ。大学や寮の食堂でのひとときが、うれしい息抜きになる。クラスや寮の友だちと一緒のこともあるし、ひとりもまたよい。

 食べ物を前にすると緊張が解けて、心がくつろぐ。「まずい」とあれほど聞いていた料理が、不思議なことに、とてつもなくおいしく感じられる。朝食のベーコン、卵料理、昼食、夕食のフィッシュ・アンド・チップス、ローストビーフ、チキンなど、料理の種類は少ないけれど、どれも大好物だ。日本で聞いていた話とは大分ちがうのだけれど...。