サービス業での研修は珍しい。箱根の旅館は女性の研修生のみを求めていた。ジェーン、ウッテ、モニカは、この一味ちがう研修をいやがることなく、積極的に楽しみ、満足して帰っていった。一方、Gデパートは男性の絨毯運びを必要としている。彼女たちのことを思うと、僕も、今ここで頑張り、楽しみ、満足して、帰国しなければ、という気になってきた。

それで、相変わらず、絨毯を運んでいる。もう一ヶ月近くになるが、他の部署へ移る話はない。ただ、よいこともあった。慣れてくると筋肉もついてきて、体がしまってきたのがわかる。これまで鍛えることがなかったので、来年春に就職する前に、こんなふうに体を使って働くことを覚えたのは、貴重な体験だと思う。

 もうひとつよいことは、僕とペアを組んでいるムスタファと仲良くなれたことだ。口ひげを蓄えたトルコ人の彼は僕より少し年上で、ドイツが国をあげて受け入れている外国人労働者だ。街なかを歩いていると、工事現場などで働く彼らを、ハンスが「トルコからのゲストワーカーで、とても歓迎されている」と話してくれた。僕はトルコのことは何も知らなかったが、ムスタファは、一九世紀末に、日本の沖合で遭難したオスマン帝国の軍艦の乗組員を、日本人が大勢救助し、無事本国へ送還してくれたので、トルコ人は今でも日本人に特別友好的な感情を抱いている、と人なつっこい笑顔で話した。

 彼とは英語、ドイツ語の両方で何とか意思を通じさせ、二人で工夫して作業を効率化し、休憩時間には地下の倉庫でジュースを飲みながらおしゃべりし、毎日昼食も一緒だった。トルコの故郷の町に住む家族の写真も見せてもらった。

 ドイツへ来てから一ヶ月後の週末に、ドイツ中部と南部の協会大学支部が合同で、世界各地から訪れている研修生の歓迎パーティをハイデルベルグで開催した。僕たちフランクフルト大学支部の研修生たちも、ハンスたちに引率されて大型バスで、フランクフルトから南へ八十キロほどの古都ハイデルベルグへ向かった。フランクフルトの市街地を出てしばらくすると家並みは途絶え、牛が放牧されている牧場が続き、人の気配はない。その後、バスは起伏のある道をしばらく走り、丘の頂を上がりきったところで急に視界が開け、眼下には緑の森と、白壁に赤い屋根の家々が広がっていた。そのはっとする美しさに、僕たち一同はみな歓声をあげた。

つづく