絨毯は相変わらず重いが、十日に一度くらいの割合で、協会支部のハンスやヨハンが用意する、協会特別プログラムに参加するため、デパートを半日で早退できた。外国人研修生がドイツについて理解を深め、見聞を広められるように企画され、研修先の企業も承知しているので、遠慮なく早退できた。午前中は仕事でも、午後に、発電所、自動車工場、ビール工場、新聞社などに案内され、見学した。すでに友だちになっている各国からの研修生たちと一緒で楽しい。彼らとは最初の歓迎会後も、ハンスたちが毎週水曜日の夜に大学近くで開く会合でも会っているので、親しくなっていた。こんな息抜きがあったので、デパートでの激務も続けられたのだろう。

 こうしている間にも、少しでもドイツ語がわかるようになりたいと、努力はしていた。一冊だけ持っていったドイツ語の教科書を読み、せっかくドイツにいて、ドイツ語に囲まれているのだから、今がチャンスと使ってみたら、日常の受け答えくらいはできるようになってきた。職場の人たちも、「日本人が絨毯を運んでいる」と聞きつけて、わざわざ見に来て、話しかける人もいたし、なかには英語で日本のことをきいてくる人もいた。

 しかし、ドイツ語の壁は厚い。何を言われているのか、聴いて少しはわかっても、話せないから、会話は限られてしまう。地下の倉庫で僕しかいない時に、内線電話のベルが鳴るとお手上げだ。はじめは無視するが、あまりいつまでも鳴っているので仕方なく受話器を取り上げ、

「ダ、レ、モ、イ、ナ、イ」。

片言のドイツ語で言ってすぐ切ってしまう。こんなことでは、「運搬研修」を卒業するのは無理だろう。

 東京支部で受け入れた海外研修生は、ほとんどが片言の日本語しかできなかった。

「今の僕のドイツ語のほうが、まだましかもしれない」と思ってしまうほどの人もいた。日本での研修では「英語ができればよし」で、日本語までは期待しないのがふつうだ。「日本語ができない人はお断わり」という企業も稀にあったが、ほとんどが英語での研修を用意していて、社内の実際の業務に関わる、実質的な経験を積むことができた。 

 会社によっては、研修の一環として、日本人社員の英語力アップのために、外国人研修生を日本人と一緒の独身寮に住まわせたり、英語の特訓授業をしてもらったり、日本人社員の書いた英文の添削、校正を頼むところもあった。これは英語が母国語ではない、スウェーデン、デンマーク、シンガポールなどからの研修生も同じだった。というのも、彼らの国の大学では授業は英語で行われることが多いそうで、英語はネイティブ並みの実力があるからだ。

 ドイツ人、フランス人、スペイン人でも英語が上手な人は同様のことを頼まれていたが、それとは別に、彼らはドイツ語、フランス語、スペイン語の手紙や、雑誌、新聞記事を英語に翻訳するよう頼まれるときいて、なるほどと思ったことがある。いずれにせよ、僕の場合はそんな可能性はゼロで、ただ絨毯を運ぶしかない。

つづく