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『恋とお茶は、冷めないように』
作:南野モリコ
ジャンル:恋愛
ストーリー:結婚して変わったのは彼?それとも私?
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この家から消えたものが二つある。キスとお茶だ。
新居に届いた真新しいテーブルは、温もりが集まる場所だった。
「おかえりなさい。何か飲む?」
「奈緒子のお茶が飲みたいな」
ネクタイをはずしながら忠司が座り、2人の時間が始まった。テーブルは、家庭の心臓。食事の後も、ずっとテーブルでおしゃべり出来るように、長時間座っても疲れない長い背もたれのイスを選んだ。
テーブルも夫婦も年月に磨かれ、本物になっていくものだと思っていた。今では、パソコンと数本のペンが無造作にあるだけだ。
花を絶やさないと決めていたのに。砂漠のように乾いた一輪挿しの横に、離婚届が差し出された。
「俺のは書いたから」
革靴を履きながら背中越しにつぶやいた。出社する夫の背中を見られなかったのは今日が初めてではない。
「別れたくなんかない」
泣きそうな声で叫んでも忠司は冷静だった。
「そうかな。君は、自由になりたいと言っているとしか思えないよ」。
残酷な音を立ててドアが閉まる。
奈緒子は、床に崩れた。結婚して2年。精神的にも体力的にも、余裕がなかった。結婚というゴールに向かって走る恋愛が終わり、2人で共に歩む「旅」が始まったことを否定し、恋愛と同じペースで走り続けようとしていたのだ。
クリスマスのディナーが、レストランから自宅に変わった。誕生日も結婚記念日も、忘れられそうになった。
「私のこと、愛してないの?」
ヒステリックに、奈緒子は叫んだ。
「結婚したんだから、将来のために貯蓄しないと」
「結婚したから、結婚したからって、そればっかり。私は、他の夫婦みたいに、所帯染みたりするのはイヤ。私はずっと女でいたいのよ」
忠司は、部屋に閉じこもるようになった。お茶の時間がなくなり、花を飾る頻度も減った。一旦、落ち始めると、落ちていく方が楽になっていくものだ。
「話し合いましょう」と言っても、一度、タガが外れると、憎悪が溢れ出す。忠司の沈黙に暴言をぶつけ、そんな自分がイヤになり、また次の日にも同じことを繰り返すという負のループから抜け出せなくなった。
しかし、いつかこんな日が来るかもと思っていたものを現実に見せられて、目が覚めた。失いたくて罵ってしていたんじゃない。失いたくないからだ。
奈緒子は、忠司と出会った頃のころを思い出した。独身時代、奈緒子は、会社の役員秘書をしていた。漆塗りの丸盆を持ち、ドアをノックする時の誇らしさと緊張感と言ったら。
「奈緒子ちゃんは、お茶を淹れるのが上手いね」
上司はそう言って奈緒子を褒めた。
「タイミングがいいんだよ。お茶が欲しいと思う時に出してくれる」
何気なくしたことが褒められる、秘書と言う仕事にはやりがいがあった。
奈緒子は、秘書の仕事に自分の将来を重ねていた。いつか結婚したら愛する人にこうしてお茶を出すのだ。夜遅くまでパソコンの前で仕事をする彼の傍らにそっと湯呑みを差し出す。
彼は、にっこり笑って、「ありがとう。気が利くね」なんて。
お茶を淹れるタイミングを見計らえた時の快感。あの感触がたまらなく好きだった。教えられて出来ることではない、と上司に感心された時のあの誇らしい気持ち。誰かのためにお茶を淹れる度に、自分を特別だと感じられた。忠司と出会った時、上司ではなく、彼の片腕となりたいと思って、プロポーズを待ったのだ。
奈緒子は、デパートの食器売り場に行き、新しい湯呑み茶碗を一客、買った。上司に出していたのと同じ、蓋付きの湯呑み茶碗と茶卓。
蓋付きの茶碗なんて、ドラマでしか見たことがなかった。「冷めないように、必ず蓋をしてね」と先輩に教えられた。
「熱いものはいつか冷める。それを冷めないように工夫するのが賢い女なのよ」。
上司を喜ばせようと、忠司に愛されようと一生懸命だった、自分に帰れそうな気がしてきた。
深夜0時を回った頃、忠司が帰宅した。
「おかえりなさい」
奈緒子は、精一杯、明るい声を出してみた。
忠司は無言だった。朝と違う雰囲気に怪訝な表情を浮かべながら、自分の部屋に入って行った。さあ、これから勝負だ。
下ろしたての湯呑みにお茶を注ぐと、蓋をして盆に乗せた。口角を上げて、笑顔の練習をすると部屋に向かった。ドアを開けたら、にっこり笑ってこういうのだ。「お疲れ様。お茶でもどうぞ」。
熱いものはいつか冷める。でも、冷まさないように、努力は出来る。
丸盆の上で、蓋が小刻みに震えている。奈緒子は、ドアを2回、ノックすると、すうっと息を吸った。
★1分で読める短篇小説『茶畑チャリンコ・レーサー』作:南野モリコ
ジャンル:青春、コメディ
ストーリー:チャリ通中学生ショータは、延々と続く茶畑の中を今朝も突っ走る!
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