シナリオ【あれから10年】あとがき | Novel & Scenario (小説と脚本)

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東日本大震災から10年という今年の3月11日前後は、去年より震災関係のテレビ番組が多かったと思います。

その1つに山田太一さんのドラマ「時は立ち止まらない」の再放送がありました。2014年に放送された単発ドラマの再放送です。

山田太一さんに対するリスペクトはこれまで何度か書きましたが、このドラマについては初見のとき感心せず、それが今ならどうか、確認のために再見しました。

結果は7年前と同じ、感心しませんでした。

津波で婚約者を亡くした娘が疎遠になった相手家族に会いに行きます。亡くした婚約者を忘れたくないという思いからです。しかしあれこれ話す場面が続き、本当に忘れたくないならまず仏壇に手を合わせないか? とひっかかる。

そういった細部をはじめ、このドラマは「もし被災者が見たらどうか」そればかりが気になりました。我が事に思えるか。被災者よりそれ以外に向けて作られたドラマな気がします。それはそれで構いません。被災者よりそうでない人の方が多いんですから。しかし被災者を置き去りな気がしました。

寄せられる善意に感謝するしかない被災者のやりきれなさが、前半描かれます。それはいい。共感する被災者はいるでしょう。しかしそれ以降の、娘と弟のエピソード、父親ふたりの過去、それらは極々私的で震災を扱うドラマで描くべきことだったのか。そういった極々私的なことにこそ個があり価値がある、というのはわかりますが、震災を扱うドラマならもっと優先して描くべきことがあったんじゃないか。ドラマを作る機会が少なく貴重なチャンスだったとしても、作者が書きたいことを注ぐスタンスで臨むのはどうか。

自分は東日本大震災のあと2年以上物語が書けませんでした。フィクションがあのような大災害時、非常時になんの役にも立たないのを実感したのがあります。「無力」と幻滅しました。

しかしそれよりも、フィクションは作者が自由にコントロールできるもの、都合よくまとめられるものです。震災で人の無力を思い知ったはずなのに、それでもなお思い通りの物語をつくることに、当時は抵抗しかありませんでした。「軽薄」と嫌悪しました。

それでも人には物語が必要、と再び書くようになってからも、震災を中心にしたものは書けませんでした。

自分の方が深く考えて誠実だ、と言いたいのではありません。しかしもし書かざるを得なくなったとしても「これじゃない」

フィクションが被災者の慰めや励ましになるとは今でも毛頭思ってなく、語り継ぐにはインタビューやドキュメンタリーで充分と思っていて、風化がどんどん進めばフィクションの出番はあるかもしれませんが、しかし少なくとも「これじゃない」

震災からまだ3年という時期にそれを扱うドラマが作れたのは、山田太一という名前があってこそでしょう。内容の曖昧さ複雑さわかりにくさは評価を難しくし、でも名前のブランド力があって高尚のような、さらにドラマ関連の賞をいくつか取ったようで、批評をためらうには充分です。

しかし果たして本当にいい作品だったか。これを高く評価していいのか。「これじゃない」という違和感の方が自然じゃないか。そういった疑問が拭えませんでした。

しかし「これじゃない」と言うだけで自分はいまだ震災の物語が書けない、書いてない、批評するなら自分なりの「これ」を示さないといけないんじゃ…と書いたのが本作です。

被災者の人たちに「自分もこれと近い気持ちがある」「周囲に似た思いの人がいる」と感じてもらえることだけを心がけました。

 

 

 


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