1988年12月22日、ボリビアと国境を接するアクレ州シャプリ村で、
「アマゾンのガンジー」とよばれたフランシスコ・メンデスこと、
シコ・メンデスが、殺された。しかも、自宅で!
この、ニュースは、世界中を駆け巡った。アマゾンの保護とそこに生きる人々の戦いを始め、「グローバル500」を受賞、会って見たいと
思い続けていた人物だ。小生は読売新聞の岡島氏のクルーとしてシャプリ行きに同行できるチャンスを得たのは、2ケ月後の2月であった。
大型?のアマゾン開発は、1926年にフォードがアマゾンにゴム園を
作る。第二次大戦で景気がいいもののゴムが東南アジアでも栽培され
暴落、後日、アマゾンの日系移民が、東南アジアの胡椒をアマゾンに持ち込み成功させ、「ゴムの仇を胡椒で」という有名な文句が出きたのは
このような背景からか。
1964年、冷戦真っ只中、ブラジルの左傾化を恐れたアメリカが、
カルロス・ブランコと手を組み、クーデターを成功させ、ブラジルは
軍政になる。1966年にアマゾン開発を進め、開発すれば100Ha
の土地を!これを目指して600万人がアマゾンに押し寄せる。
1970年台の海外からの投資のあり、「ブラジル70年代の奇跡」
時代になる。しかし、アマゾンでは、大変なことが起こっていたのだ。
インデオとすみわけしながら、ゴムを採取したり、木の実を採取したり
する。人々が、ガリンペイリョ(金堀)ファゼンデイロ(牧場主)においやられ、深刻な衝突がアマゾンで起きていた。このゴム採集人(セリンゲイロ)のシコ・メンデスが、労働組合を組織し熾烈な戦いが繰り広げられていた。彼らは、ガリンペイリョと戦い、政府の共産主義弾圧と戦い、そして、牧場主達と戦った。まさに西部劇の時代と言ったのは、
このような背景だったからだ。
私達は「リオ・ブランコ」でシャプリに飛んでくれるセスナを探した。
無い、全くない。飛行場にセスナはあるが飛んでくれない。
ほとんど、牧場主の自家用機、貸してくれるはずはない。
つたないポルトガル語でさがすのだが、難しい、読売のスタッフから
大丈夫かよとプレッシャー。アマゾン流でいきましょう。
飛行場ではなく、バーとパイロットが食事をする食堂にターゲットを絞って探す。
ミゲルと言う密売、密漁者が、おんぼろセスナを持っていると聞く。
探しだして、相場の倍の値段で飛ぶ事となった、ただしシャプリでは
3時間だけ、もう一つの条件は、彼の商品を50ドル分買う?
で、シャプリまでの40分ぐらい、出るは、出るは、「蛇の皮」
「豹の毛皮」「コカイン」「マッコーニャ」「銃」に「毒薬」
何じゃこいつは、「同行するスタッフにお前から売れよ、30%は
お前のものだ、」と誘いをかける。「ミゲル、ネゴは帰りにしようぜ。」
シャプリに着いた。ただの草原の滑走路から、村の中心まで、テクテク
と歩き、教会広場の一軒しかないバーで、シコの家を訪ねた
店の主人は知らないという「とにかく組合に連絡するよ、それからだ」
広場の向こうから、ごついのが5~6人歩いて来る。
立派なひげのがっしりした男が、
「お前ら、誰だ?」
小生は、
「シコが、グローバル500を受賞したことは知ってるか?」
「この、日本人はシコと同じ賞を取った」
「今日は、シコの墓参りをしたい、日本からやってきた。」
ひげ男
「同じ賞を取ったのか、同志だな」
「日本から?日本人は初めてだ」
小生ら一同は、シコの家に行った。
シコの家は、なんとバーのある広場から30m先立った。
クソ、バーの親父め、ま、よそ者だからな、それにしても
静かな町の中の緊張感。
シコの家は記念館として、とって置くことにしたと言う。
ひげの男は、フェルナンド、シコの従弟だそうだ。
それにしても、貧しい家である。
居間から、台所へ、板の壁伝いに
シコの血に染まった左手の手形。
撃たれながら、シコは犯人を追う。
裏庭まで続く血痕、
フェルナンドは無言、他の組合員が読売のカメラマンに
事件の状況を身振り手振りで説明する。
「銃声が聞こえたんだ、俺が駆けつけた時、シコは
ここで、膝まづいて森を指差してから、倒れた。」
フェルナンドは、こっちに来いと小生にあごで合図した。
ガラスケースの中の38口径のリボルバーを小生に見せ、
フェルナンドは、言った。「警察の銃だよ」
これで、シコは殺された。
すまんフェルナンド、3時間しか無いんだ・・・・。
組合員がトラックを調達してくれた。
「俺達は、正式に日本人の喪を受ける」
シコの肖像画を小生に持たせてくれた。
墓は綺麗に掃除され、造花で飾られていた。
涙が止まらない、拭いても、拭いても、
フェルナンドがそっと、小生をハグしてくれた。
とたんに小生は、声を出して泣き出した。
フェルナンドも小生もしっかりと抱き合って泣いた。
「アマゾンのガンジー」とよばれたフランシスコ・メンデスこと、
シコ・メンデスが、殺された。しかも、自宅で!
この、ニュースは、世界中を駆け巡った。アマゾンの保護とそこに生きる人々の戦いを始め、「グローバル500」を受賞、会って見たいと
思い続けていた人物だ。小生は読売新聞の岡島氏のクルーとしてシャプリ行きに同行できるチャンスを得たのは、2ケ月後の2月であった。
大型?のアマゾン開発は、1926年にフォードがアマゾンにゴム園を
作る。第二次大戦で景気がいいもののゴムが東南アジアでも栽培され
暴落、後日、アマゾンの日系移民が、東南アジアの胡椒をアマゾンに持ち込み成功させ、「ゴムの仇を胡椒で」という有名な文句が出きたのは
このような背景からか。
1964年、冷戦真っ只中、ブラジルの左傾化を恐れたアメリカが、
カルロス・ブランコと手を組み、クーデターを成功させ、ブラジルは
軍政になる。1966年にアマゾン開発を進め、開発すれば100Ha
の土地を!これを目指して600万人がアマゾンに押し寄せる。
1970年台の海外からの投資のあり、「ブラジル70年代の奇跡」
時代になる。しかし、アマゾンでは、大変なことが起こっていたのだ。
インデオとすみわけしながら、ゴムを採取したり、木の実を採取したり
する。人々が、ガリンペイリョ(金堀)ファゼンデイロ(牧場主)においやられ、深刻な衝突がアマゾンで起きていた。このゴム採集人(セリンゲイロ)のシコ・メンデスが、労働組合を組織し熾烈な戦いが繰り広げられていた。彼らは、ガリンペイリョと戦い、政府の共産主義弾圧と戦い、そして、牧場主達と戦った。まさに西部劇の時代と言ったのは、
このような背景だったからだ。
私達は「リオ・ブランコ」でシャプリに飛んでくれるセスナを探した。
無い、全くない。飛行場にセスナはあるが飛んでくれない。
ほとんど、牧場主の自家用機、貸してくれるはずはない。
つたないポルトガル語でさがすのだが、難しい、読売のスタッフから
大丈夫かよとプレッシャー。アマゾン流でいきましょう。
飛行場ではなく、バーとパイロットが食事をする食堂にターゲットを絞って探す。
ミゲルと言う密売、密漁者が、おんぼろセスナを持っていると聞く。
探しだして、相場の倍の値段で飛ぶ事となった、ただしシャプリでは
3時間だけ、もう一つの条件は、彼の商品を50ドル分買う?
で、シャプリまでの40分ぐらい、出るは、出るは、「蛇の皮」
「豹の毛皮」「コカイン」「マッコーニャ」「銃」に「毒薬」
何じゃこいつは、「同行するスタッフにお前から売れよ、30%は
お前のものだ、」と誘いをかける。「ミゲル、ネゴは帰りにしようぜ。」
シャプリに着いた。ただの草原の滑走路から、村の中心まで、テクテク
と歩き、教会広場の一軒しかないバーで、シコの家を訪ねた
店の主人は知らないという「とにかく組合に連絡するよ、それからだ」
広場の向こうから、ごついのが5~6人歩いて来る。
立派なひげのがっしりした男が、
「お前ら、誰だ?」
小生は、
「シコが、グローバル500を受賞したことは知ってるか?」
「この、日本人はシコと同じ賞を取った」
「今日は、シコの墓参りをしたい、日本からやってきた。」
ひげ男
「同じ賞を取ったのか、同志だな」
「日本から?日本人は初めてだ」
小生ら一同は、シコの家に行った。
シコの家は、なんとバーのある広場から30m先立った。
クソ、バーの親父め、ま、よそ者だからな、それにしても
静かな町の中の緊張感。
シコの家は記念館として、とって置くことにしたと言う。
ひげの男は、フェルナンド、シコの従弟だそうだ。
それにしても、貧しい家である。
居間から、台所へ、板の壁伝いに
シコの血に染まった左手の手形。
撃たれながら、シコは犯人を追う。
裏庭まで続く血痕、
フェルナンドは無言、他の組合員が読売のカメラマンに
事件の状況を身振り手振りで説明する。
「銃声が聞こえたんだ、俺が駆けつけた時、シコは
ここで、膝まづいて森を指差してから、倒れた。」
フェルナンドは、こっちに来いと小生にあごで合図した。
ガラスケースの中の38口径のリボルバーを小生に見せ、
フェルナンドは、言った。「警察の銃だよ」
これで、シコは殺された。
すまんフェルナンド、3時間しか無いんだ・・・・。
組合員がトラックを調達してくれた。
「俺達は、正式に日本人の喪を受ける」
シコの肖像画を小生に持たせてくれた。
墓は綺麗に掃除され、造花で飾られていた。
涙が止まらない、拭いても、拭いても、
フェルナンドがそっと、小生をハグしてくれた。
とたんに小生は、声を出して泣き出した。
フェルナンドも小生もしっかりと抱き合って泣いた。
悔しかった、何がって、ただ 悔しかった。
泣きながら、
頭のよぎったのは、チェ・ゲバラとともに戦った、
女性戦士タニアが戦死したのは、ここから50キロも
離れてないところだなーー。という事だった。
帰りの飛行機で、ミゲルから・・・を買った。
明日から、残された未亡人イルザマルを探さなければ
ならない。リオ・ブランコの組合員に保護されている。
彼女も女性の地位向上の組織の一員であった。
アマゾンの戦いは始まった。
自然を守るのではない。
自然と生きるのだ。シコの戦いは、思想の枠を
超えていった。
おまけ:
ブラジルのシコの映画サイト
http://

