不思議、大好き! -5ページ目

不思議、大好き!

文章はすべてフィクション。ほぼ1話完結。



しるしのある場所

映し出す記憶

映像・匂い・空気・言葉

何をしていたって

思い出して

くるしくなる
「そりゃおめえ、うめぇに決まってるさ」
 
「そうなんだ」
 
「だって、昔は食べるもんがなかったから、なんでも食べたさ。草だって煮て食べてみたし、ヘビだってつかめえてお酒にしたんさ」
 
「それに比べて今は食べ物がたくさんあっていいさ。良いに決まってらあ」
 
カッカッカッ、と花が咲いたようにおじいちゃんは笑った。
 
「着るもんだって困らりゃしねえ」
 
「戦争中の配給のときなんかはよ、何が配られるんだんべえって集会所に行ってみたら、風呂敷に使われるような布切れ1枚だで。それを切って分けてんまわってるんだから笑っちゃわいな」
 
カッカッカッ、と屈託なく目尻にシワをたくさん寄せて気持ちよく笑う。
 
そんな話をたくさんしてくれて、子どもの僕は昔の生活に想いを寄せてながら、苦しくとも楽しそうに話すおじいちゃんから、明るい昔の日々を頭に描いた。
 
そうしていると、おじいちゃんは気がついたように、寝床の「かいまき(大きい袢纏のような毛布)」を押しのけて、ボロボロになったカタログを持ってきた。
 
「貯めていろんな物をかったいな。ほら、ここにタライがあって、洗濯板、帽子…。おめえたちにもあげたキャラメルもあるで」
 
そこにはたくさんの品物が描かれていて、通信販売のような仕組みで注文できるようになっていた。ラジオやテレビでよくコマーシャルが流れていて、声の高いお姉さんが「通信販売」のところだけ妙にゆっくり言うので、それがとてもおかしかったのを思い出した。それを思い出しながら、僕は笑った。そして、ああそうか、家にあるものはこれで頼んでたんだと感心して、おばあちゃんが使っていたり、昔の写真に写っていた銀のタライや木の洗濯板なんかをあれこれと思い浮かべた。
 
すると、今度はどこからか大きいリュックのようなふくろをおじいちゃんは持ってきた。その中にはコインがたくさん詰まっていた。それはベルマークのようなもので、ふくろの外側には数字が書かれていて、120,000,089とあった。
 
「一生懸命働いて貯めたんだ。ほら、見てみ」
 
おじいちゃんはそう言うと、コインを何枚か持ってきてふくろの中に入れた。すると、数字が120,000,089から120,000,169と変わった。桁が大きすぎて最初はなんだかわからなかったが、それが枚数であることは、おじいちゃんのそれですぐにわかった。子どもの僕は驚いて、「いち、じゅう、ひゃく、せん、まん…」と桁を数えると、なんと1億2千万を超えていた。
 
「すげぇ~!!」
 
「これで好きなもんと交換できる。おめえたちにも好きなお菓子や服がもらえべえ」
 
僕が嬉々と喜ぶのを見て、またおじいちゃんはカッカッカッと笑った。そして、二人してまた寝床に戻った。おじいちゃんは「もうねるべ」と言うとすぐに寝息が聞こえた。僕は興奮が冷めなくて、貰える品物のことや戦争時代の生活に思いを馳せた。
 
ああ、このカタログから物を頼んでたんだ。おじいちゃんは良いことを知っているなあ。おじいちゃんの書院造の和室の赤茶けた柱を見つめながら、ふと興奮冷めやらない僕はおじいちゃんに話しかけた。
 
「コイン一枚はどれくらいの重さなの?」
 
「ん…1銭くれぇだんべえ。昔は4銭ありゃぁ…」
 
おじいちゃんの話を聞きながら僕は「1円が1gで、1銭がどれくらい重いかわかんないけど、0.5gだとしたら…1億枚だから…」とかいまきの中でせっせといつまでも考えていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
…ん?…あれ?…何かおかしい…。通信販売?…1億枚のコイン…。カタログ…コマーシャル…ん??あれれ??
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 気がつくと僕はいつもの布団で独りで寝ていた。ああ、夢だったんだ…。僕はそう思ったけれど、口元にはまだ微笑みが残っている。現実に戻ってきた次の瞬間、僕は衝撃に胸を打たれ、咽び泣いた。
 
 僕はその夜、思い悩んで、また眠れないんだろうと悩みながら目を閉じていたことを思い出したからだ。独り寝床について、自分の可愛い子どもも、家族も、友人も、恋人もいない自分の人生を、もう明らかに光明のない人生を呪っていたことを思い出した。嫌だな…いやだな…イヤだなって思う気持ちがどうしても離れなかった。
 
 それで。ああそうか、(今年亡くなった)おじいちゃんが来てくれたんだなって思って、最初は嬉しくて、途中はそんな優しいおじいちゃんにもう会えなくて、最後は自分はそんなおじいちゃんには成れそうになくて、咽び泣いていた。
 
 
 
 
 
 生きろ、生きろ。まだ死ぬな、っておじいちゃんが言ってくれている気がした。



フラットな気持ち

平らな気持ち

その上に水を垂らすと

水はどこへも行かず

丸く留まる

そんな気持ち

そんな心境になりたい

景色や言葉なんかが世の中にはたくさんあって。

その中でも、心にとまるものがある。

 

時に、強く引きつけられたり。

時に、何度も反芻したり。

 

表してみてわかった。

 

青々としたの美しさを自分の中に取り込みたかったんだなって。

 

自分の中に取り込もうとするとき、心はそれらをいつまでも映し出す。

 

そんなものを増やしていきたい。

ゆく川の流れは絶えずして

しかも元の水にあらず

淀みに浮かぶ  うたかたは  かつきへ  かつ結びて

ひさしく留まりたる  ためしなし

世の中にある人と住みかと  また  かくの如し



鴨長明『方丈記』

青梅駅からは、さびれたビルが見えた。だれも手が付けられなくて、放っておかれたようだった。その様子が周囲の彩りをぐっと下げていた。

 

そんなさびしいこの町に、パンダはずっと1人で、ずーっと1人で暮らしていた。誰もがその生活をさびしいであろうと思っていた。

 

パンダはリュックから笹を取り出すと、口へ運んだ。私は別にさびしくないわ。モシャモシャしながら思った。

 

パンダはリュックの笹を食べる日。それはいつも決まった日だった。しかし、そのことを知る人は誰もいない。

 

おもむろに、爪でお尻を掻いた。あっ、爪が伸びてるな。このこと知る人も、気づいてくれる人も誰もいない。

 

かつて、このパンダには、ともにリュックの笹を食べ、伸びた爪の手入れをし、お互いを大切にし合う仲間がいたのだ。

 

そうよ。わたしだって。彼女はそう思い返した。

 

笹食って、お尻を掻いてる場合じゃないわ。

私はあなたに嘘を吐いた。

 

公園で座っていた。

 

ため息ばかり。そんな中、行き交う人は暇を持て余した足取りで通り過ぎていく。カップルや子ども連れもあった。

 

プレゼントはすべて捨てた。それは嘘ではない。でも、正確には彼からのプレゼント。

 

彼の子どもからのプレゼントは捨ててない。捨てられなかった。それをあなたに伝えることもできなかった。

 

首もとに付けたネックレス。それについて訊かれたときに、ドキッとした。即座に真実はあなたを傷付けると直感した。

 

私はあなたを傷付けたくなかっただけなの。この想いは間違ってない。そう言い聞かせた。

だから、自分で買ったって言った。

 

でもその時、頭に浮かんでいたのは、いつかの私の誕生日の、彼の子どもの笑顔であり、小さな掌に載った小さく綺麗に包装されたネックレスだった。

 

「こいつが選んだんだ。俺は金を出しただけ。だから、受け取ってくれ。こいつからのプレゼントだ」

 

はにかんだ彼は、子どもの後ろに立ってそう言った。

 

別に彼のことなんてどうでもいい。なんとも今は何も思ってない。私は彼とその子どもを切り離して考えてる。

 

だって、子どもに罪はないでしょ。別のことなのよ。ねぇ、そうでしょ…あなた…。

 

首もとの小さなネックレスを指でなでた。それはまるであの女の子の小さな掌のようだった。私は純粋に…あの子に対しての思いは純粋なの。あの子の私への思いを純粋に受け取って、あの子の思いを捨てるとか…ないがしろにしたくないだけなの。

 

それにね。不思議とあの子からのプレゼントは金属アレルギーの私の肌を蝕まないの。これって、私の思いの、あの子の思いの純粋さの現れじゃない?

 

…彼のことを引きずっているわけじゃないの。だから、信じて、あなた。あなたを愛してる気持ちは変わらないし、このネックレスは、このあなたへの気持ちを損なうものではないの。

 

でも、この嘘や隠し事を守るために、私は嘘を重ねることになってる…。

 

あなたからのメール。

 

何してるの?なんで公園なんかにいるの?何考えてるの?

 

私は嘘を吐くしかなかった。

 

だって、あなたを傷つけたくないの。こんな余計なことを私とあなたの間に持ち込みたくないの。…本当になんでもないことなのよ。

 

あぁ…。

私はどうすればいいんだろ…。

 

捨てようかな。

 

首もとのネックレスを強く握って、ちぎろうとしてみた。

 

でも、あの子の小さな手を振り解くみたいだった。私の子どもじゃないのにな…。何でだろ。

 

涙がこぼれていた。

 

自然と手の力は抜けていき、強く握ったはずなのに、今では優しく握るようになっていた。

 

私はあなたのことが好き。

 

うぅ…。
私は本当にどうすればいいんだろう……。

人は三度生まれる。

僕の三度目は2016年かもしれない。

 

 

 

大好きだから、ずっと。
なんにも心配要らない。

 

 

 

 

そう想える。

僕は今まで数々の強敵と闘ってきた。百戦錬磨とまではいかないが、それなりの戦果を得てきた。負けたこともあれば、避けたこともあるが、今はそういう訳にはいかない。

目の前に、とんでもない強敵が現れた。僕は必ず勝たねばならない。黒騎士姿の彼は四六時中、僕につきまとうからだ。

彼は長身で、重い甲冑を全身にまとい、おそろしく長く太い大剣を肩に担いでいる。甲冑も大剣も黒光りしている。歩く度に、ガジャンガジャンと重苦しい音がして、ズシリズシリと地を沈ませている。

でも、殺気は彼から感じられない。佇まいはとても静かだ。彼を見ることは、セピア色に見えるほど、遠い昔の写真を見るようだった。

兜の隙間からのぞく眼は落ち着いていて、口元は何も語ろうとはしていない。一見、僕を敵と認識しているかも怪しい。でもそんなことはない、彼に挑めば、一閃で大剣を振り下ろし、空気を切り裂く凄まじい音と共に相手を両断するはずだ。

つまり、彼の静かな佇まいは、戦歴の経験と覚悟の賜物なのだ。誰も俺を倒すことなどできない、という傲りではない実績を伴う自信なのだ。いや、彼は負けを怖れてはいない、それならばそれも良しとするような、達観すら感じられる。

そんな彼を前にして、僕は大いに怯む。負けることが分かっているからではない。自分の今の能力が、彼と比べてあまりに貧弱に思えるからだ。

彼との決闘に勝ったとき、彼以上のものを僕は得ていなければ、勝つ意味が僕にはないのだ。まぐれでは勝ちたくない。正対し、直視し、彼のすべてを受けきって勝ち、彼を越えていかねばならないのだ。

いやいや、こんなことより、彼の姿が現れてから、勝負は始まっているのだ。

僕は彼に向かって斬りかかる。しかし、僕の振り上げた剣は振り下ろすより前に、彼の大剣が飛んできた。目にも止まらない速さで、彼は百キロは越えるであろう大剣を振り下ろす。

しかも、一撃ではない。両手で振り下ろされた大剣は、容赦なく地面をえぐると、左に避けた僕に向かって、すかさず横殴りにそして水平に、片腕で飛ばしてくる。

その間、甲冑の擦れる音が聞こえた。踏み込んだ足甲と、肩の甲冑の音がそれぞれ二度ずつ。これだけで、無駄な動きがなく、縦横無尽に大剣で闘いなれていることを示している。

僕は2撃目をしゃがんで避けることが精一杯だった。3撃目に備えて僕はすぐに後ずさった。だけど、後ずさった僕に彼は追い打ちをかけない。

なぜか。それは、彼は知っているのだ。自分は勝負に焦っていないことを。

焦っているのは僕だ。彼は自分の存在だけで、もうすでに僕を圧倒させている。そして、彼が僕の目の前に存在するだけで、僕が負け続けていることを。

だから彼は追い打ちはしない。向かってきた時だけ、“相手をする”だけで充分なのだ。なにより彼は熟知している、僕が黒騎士の彼の存在を消せないことを。

耳元には、宙を切り裂いた大剣の音が残っていた。僕はすでに肩で息をいていた。たった2撃を避けただけで、その激しい緊張感で僕はひどく消耗していた。

僕は考えた。彼の存在は、その存在だけで、僕を消耗させる。そして気づいた。

彼が僕につきまとっているのではない。僕がつきまとわせているのだ。彼の姿をいつも探してしまう自分がいる。

仮に、僕が彼を探さなければ彼の存在は消えるのだろう。でも、それは同時にかけがえのないものを失うことを意味している。心底求めていたものを諦めることを意味している。

僕が求めているものは、正確には彼を倒し、彼を越えることではない。彼を越えて愛する者との平和を得ることだ。つまり、彼の存在が邪魔なのだ、彼女との平和には。

彼女は今僕の側にいる。彼女は闘わないが、それは僕にとって大きな励ましであり、戦力であったが、同時に彼女の存在が僕を焦らせる。彼女の存在が強ければ強いほど、大きければ大きいほど、僕は焦ることになる。

なぜならば、黒騎士の彼と彼女は、かつて結ばれていた。おそらく…固く。そう思うと、僕は嫉妬の業火に灼かれた。

この時、彼は僕に視線を向けた。そしてニヤリと歯を見せた。僕は正気を失い、嫉妬の業火に灼かれた身を投げ出して、一気に斬りかかった。

すると、彼は少し足を開き、自分の胸の前で大剣を横にして、掌で大剣を根本から剣先まで撫でていった。撫でた先から、炎が現れ、みるみるうちに、大剣は剣先まで大きな炎で包まれた。その炎は、まさしく僕の嫉妬の業火だった。

彼は嗤っていた。声こそ無いが、いやらしい微笑みを顔にたたえていた。自分の業火に灼かれ、俺の大剣に斬り裂かれるが良い!と言わんばかりに。

彼は跳び、大剣を軽々と振りかぶり、頭を背中までそり返した躰で、思い切り斬り下ろした。僕はとびかかった体を止めて後ろに跳び退く。彼は素早く逆手に握り直すと、剣先がめり込んだ地面の土ごと、大剣を下から上に斬り返す。

ゴウッと炎が僕の鼻先をすごい勢いで通り過ぎていった。圧巻の燕返しに息を呑むわけにはいかない。3撃目、4撃目に備えなくては。

そう思うと同時に、黒騎士は強く右足を踏み出し、左右に大剣を振り回した。一気に間合いを詰めてくる。後ずさりするしかなかった。

振り回す大剣の速さは、振り回した剣に炎が付いて行けず、宙に残るほどだった。しかし、黒騎士の彼はまだ嗤っている。余裕の斬撃だ。

かろうじて僕はさらに後ろに跳び退いた。がしかし、脚がもつれそうになった。もう一歩退くことができないほど、体は疲れ切っていた。

黒騎士は攻撃を緩めるわけもなく、5撃目を仕掛ける。肘を後ろに素早く引くと、猛烈な突きを繰り出す。そのあまりの力の衝撃に、黒騎士の体ごとスライドして迫ってきた。

僕は歯を食いしばり、胸の前で、左手で剣の柄を持ち、右手を抜き身に添えて盾のように持って、突きに備えた。大剣の剣先が剣の抜き身に触れたと同時に、体を半身にして、突き迫る大剣に沿って、なんとか凌いだ。だが、僕は新幹線が眼前を通り過ぎるような物凄い音と激しい火花に包まれた。

僕の服は大剣の業火に焼かれ、両腕は激しい火花で火傷していた。はからずも、つばぜり合いのような形になった。でも、黒騎士の大剣とのつばぜり合いは、その形にすらならないと言っていいほど、僕と僕の剣が小さく見えた。

間近で、黒騎士は、目をつり上げてまだ嗤っていた。その顔を見たとき、彼はまだ彼女に未練があることを感じ、僕ははらわたが煮えくり返った。しかし、その時、彼は言った。

「うぬの細腕でこの俺が斬れるか。うぬの意志で我らの絆が破れるか。うぬが我を越えられぬことを一番良く知っているのは彼女なのだ!」

僕はつばぜり合いから勢いよく突き飛ばされた。両腕両足を前に放り出すような格好で、宙を舞った。地についてからも、僕は余った勢いで地面を転げ回った。

黒騎士はとどめを刺さなかった。その時はもういつものように、僕を前にして静かに佇むだけだった。僕はもう立てない。

放り出した手足をそのままにして、彼女を想った。そして黒騎士の言葉を考えた。悔しかったが、その時悟った。

彼は何も言ってはいない。あれは僕の言葉で、黒騎士は僕の我執が生んだ幻だ。でも、黒騎士がなんであれ、僕はこうして打ちひしがれているのは事実だ。

彼と彼女との絆や結び付き。かつて。彼の前で彼女は、僕に向けた以上の笑顔を見せたのだろうか。彼の前で、僕とのそれ以上に彼女は乱れたのだろうか。

なんてことを考えているんだろう。僕は自分が情けなくなったが、そうした思いを止められなかった。彼の言うとおりだ、一番良く知ってるのは彼女だ。

つまり、僕は黒騎士に向かう限り、黒騎士の彼を永遠に倒し越えることができないのだ。向かい続ける限り、僕の嫉妬の業火は、彼の大剣をさらに大きく強大にするだけだ。彼に勝ち、越える術は、僕と彼女との間に交わされる言葉や誓い、そして、それを育くんでいく時間なのだ。

両腕と両足を大地に投げ出して、僕は傷ついた体を仰向けにして思った。僕は負けたり、避けたりしない。そして、空を見て、彼女を想った。

彼女も同じ空を見ているのだろうか。そうだとしても、今そうでなかったとしても、僕は誓う。ずっと君を愛し続ける。


良心は、ただただ常に沈黙という形で語る。
マルティン・ハイデガー



夕陽は、棚引く雲を透けて、よく映えていた。そのオレンジ色の濃淡は、海岸に降り注ぎ、海の蒼さと混じってきらきらと反射させていた。頬を撫でる、その色は様々な思いに彩りを与えた。

こうしていると、とても落ち着いた。彼女は海岸線に腰を下ろして、ただ海を眺めることが好きだった。淡い黄色の砂浜と、オレンジ色の夕陽と、なみなみと満ちた蒼い海が徐々に氷河を溶かすように、彼女の思いを優しく紐解く。

こんな時、彼女は孤独に対する考えを変えることができた。人混みにいると、強烈な光が紙を焼くように、人に反射していつしか集光し、孤独は身を妬いた。でも、今は違う。

氷解した孤独から生えるのは記憶だった。子葉から始まり、草丈が伸び、葉が増えていくように、記憶の広がりを確かめることができた。ゆっくりとした時間軸の中で。

周囲のそれぞれの淡い色が、記憶の様々な側面を柔らかに照らす。もちろん、そのそれぞれの側面には、苦い思い出や寂しさ、時には残酷なものも含まれたが、どれも無理強いはしなかった。記憶の一つ一つが鮮明に、そしてやわらかくよみがえる。

本当にたくさんのことがあった。どれもが今の私をつくってきたとも思った。なかには、今と繋がるものも、繋がらないものもある。

かけがいのないものばかり。彼女は素直にそう思った。後悔や反省を促すようなものも、やっぱりかけがえがなかった。

でも、同時にこうも思った。私はいつも記憶のかごの中にいる。それでいいのかな。

振り返ればそこには無数の足跡がある。今のように、こうしてたどることは私を癒してくれる。誰にも汚すことはできないし、私以外変えることはできない記憶たち。

でも、こうした行いは私を前に進めているのかしら。ふと、思う。ひょっとして、記憶のかごから出ることを怖れる防衛機制なんじゃないか。

そう思うと、急に、あなたにメッセージを送りたくなった。すると、いとも簡単に孤独の攻撃性が頭をもたげ、背中をどんどんと突き飛ばしてくる。記憶があなた一色になり、心地よかったものが一変する。

まただ。いつもそう。本能は一瞬で感情を嗅ぎ分け、一気に私を飲み込む。

身が切れるほど、あなたに逢いたいと思ってしまう。嘘でも何でもない。隠しようがなかった。

気を紛らわそうと、彼女は指で足下の砂を触る。さらさらで、軟らかい砂の感触を確かめるように。しばらく砂と戯れる。

無心にそうしていたつもりだったが、いつしか砂に滴が落ちた。そう気づくと止まらなかった。ポトポトといくつも滴った。

嗚咽を止められなかった。堰を切ったように、感情は彼女から溢れ出た。肩を縮め、口元に片手を当て、溢れ出る感情を必死に押し留めようとした。

あなたに逢いたい。その答えはいつもこうだった。逢えばいいじゃないや逢うことはできないでもなく、ただただ私は泣くことしかできない。

もう終わったことなのよ。ううん、まだ終わってはいないわ。自分に問いただしても答えは返ってこない。

先のことについて、記憶は何も手助けはしてくれない。手がかりはすべて自分勝手な思い込みのように思えた。答えまでいかなくても、正しいと思える何らかの手がかりや少しの兆候でもいいから欲しかった。



まぶたを指の腹で拭うと、彼女は気を取り直した。気が付くと、日は暮れて、南の空に一番星が浮かんでいた。彼女はそれを掴み取ろうと、虚空に少しだけ手を伸ばした。