
智恵子抄の智恵子とglobeのkeikoが重なって見える。
何が、どうして、どこが、どうして。
小学生の時、社会の先生が言っていた。
「すべての科学や学問は、突き詰めれば、ふたつのことを探し続けることに尽きる」
「それは、同じところと違うところを見つけることだ」
同じところは、二人ともアーティストで凄い人が夫で、子どもがいなかったこと。また、これは同じといえるかどうかは分からないけど、智恵子は統合失調症を患い、keikoは脳梗塞で倒れて精神は著しく退行し、精神年齢は小学校高学年から中学生くらいの精神になってしまった。
では、違いはなんだろう。これがよくわからない。分かり得るほどの情報がなくて、同じところほどピンと来る情報がない。
ただ、高村光太郎は献身的に智恵子を支えた。小室さんはkeikoどうだったのかわからない。
僕は、智恵子とkeikoを照らし合わせて、何を見出そうとしているだろう。
以下は、高村光太郎の詩の中で智恵子を捉えた二本の詩を記す。
※発病以前
●各個山麓の二人。
※磐梯山=福島北部の火山のこと。
二つに裂けて傾く磐梯山(ばんだいさん)の裏山は
険しく八月の頭上の空に目をみはり
裾野(すその)遠くなびいて波うち
芒(すすき)ぼうぼうと人をうづめる
半ば狂える妻は草をしいて坐し
わたくしの手に重くもたれて
泣きやまぬ童女のように慟哭する
――わたしもうぢき駄目になる――
意識を襲う宿命の鬼にさらわれて
のがれる途(みち)無き魂との別離
その不可抗の予感
――わたしもうぢき駄目になる――
涙にぬれた手に山風が冷たく触れる
わたくしは黙って妻の姿に見入る
意識の境から最後にふり返って
わたくしに縋(すが)る
この妻を取り戻すすべが今の世に無い
わたくしの心はこの時二つに裂けて脱落し
闃(げき)として二人をつつむ此の天地と一つとなつた
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※発病後
●レモン哀歌
そんなにもあなたはレモンを待っていた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとった一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱっとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉に嵐はあるが
こういう命の瀬戸ぎわに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓(さんてん=山頂)でしたような深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まった
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう
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智恵子は光太郎を愛していて、光太郎も智恵子を愛していたんだろう。
発病前と発病後も、お互いの愛は変わらない。
○表紙の彫刻は、高村光太郎がつくり、智恵子が着物の袖にいれた いつも持ち歩いていたもの。