「永遠はある物へ固有の価値観を与えたときに生まれる」 A.N.ホワイトヘッド
雀が庭でチュンチュン鳴いている。僕は屈んで手を差し出し、米粒を与えようとした。でも、雀は警戒して飛び立ってしまった。
夏目漱石でも懐かなかった雀が僕に懐くはずはない。そう思ってため息を吐いた後、立ち上がった。その日は朝から気が塞いでしまっていたので、車でどこかに出掛けようと思ったのだ。
特に行く当てはなかったが、なんとなく展望台にでも行ってみようと思った。空は僕の気持ちとは裏腹に晴れていた。雀と同じように空も僕の気持ちを察してはくれないのだ。
陽は強く照っていて、僕は半袖だった。車の窓を全開にすると、風が首や腕の下をサッと抜けていく。カーステレオからはthe brilliant green「Round and Round」が掛かっていた。
展望台近くの駐車場に車を止めると、僕は軽く伸びをした。気がつくと、何でもない日の何でもない光景が僕を取り巻いていた。こんな日でも、不思議の国のアリスのいかれ帽子屋は万歳をするんだろうか。
展望台までの道のりは森の中にあった。一本道だが、クネクネと曲がったり、道幅が広くなったり狭くなったりしている。どんな道だろうと僕は道なりに進むだけだ。
行き止まりに展望台はあった。そこからは街を一望できる。その時、僕は目の前の景観に特に何も感慨を抱かなかった。
柵に凭れながら、しばらく物思いに耽った。思えば、僕は物思いに耽ることが多いなと思った。その物思いは自然とこの展望台にまつわることになった。
浮かない顔をした二十歳くらいの女の子が、街の景観を背景に写真を撮られていた。なぜ彼女は浮かない顔をしているのだろう。そう思っていると、写真を撮っていた青年が彼女に手招きをした。
でも彼女は彼のところに行かなかった。その内、彼女の浮かない顔は歪み、その場にうずくまってしまった。泣き崩れたようだった。
彼は彼女の許に駆け寄ってなだめた。彼は彼女の薄い背中をさする。しばらくそうしていると彼女は気を持ち直して、二人は立ち上がり、展望台の景観に目を向けた。
彼は彼女をまだ気遣っていて、ときおり彼女の顔を覗き見ていた。でも彼女は目の前に横たわる大きな眺望を見詰め続けた。彼も何かを諦めるように目の前の景色を見詰めた。
数十分の間、沈黙が二人を包んだ。すると、彼はハッとしてあることに気づいた様だった。彼の見ている物と彼女の見ている物が違うことに気づいたのだ。
それを彼女に伝えようとした時、奇しくもにわか雨が振り出した。結局彼は言おうとしていた言葉を呑み込み、彼女を連れて急いでその場を去って行った。彼は背を向けた展望台のその景観を気にするように、何度も振り返った。
僕は自分の物思いの中にある、いつか見たその場面を思い返していた。そして再び目の前に広がる景観を見詰めた。山あいに佇む街は薄い白色の大気に包まれていた。
彼はここから何を見詰め、彼女は彼とは違う何かを見詰めていたんだろう。そして僕はそのどちらかを、あるいはそれぞれのどこか一部分を見ることはできるのだろうか。もしくは僕はその二人とは全く違うものを見ているのだろうか。
茫々とした大きすぎる景観は掴みどころがなかった。でもここには人々の様々な想いがあり、それはこの景観に投影されているのだろうと思った。そして人々のその一瞬一瞬に見たものはその人の中で生き続けるのだろう、永遠に。
生きている一瞬間にも永遠が存在する。それは複雑な機械仕掛けのような精密なものでは決してない。もっと素直な人の感覚であるはずだ。
でもその人固有の永遠は誰にも共有されることのない感覚であるのだろう。彼と彼女のように。永遠の感覚の中で、その永遠によって僕はとても強い孤独を感じ、その場に留まりつづけ、帰り道を見失ってしまった。