NBO69~1周回って逆に良し~ -69ページ目

「戦争」

たった一つの命を捨てて

生まれ変わった不死身の体

鉄の悪魔を叩いて砕く

キャシャーンがやらねば誰がやる



というわけで今更ながら、観たんです。『CASSHERN』。

今更なので批評はしません。


ただ時節柄、作品中で繰り返し出てきた「おまえは戦争がどんなものか知らない」という台詞に引っかかりました。


戦争についてちょっと考えました。



ウタダが歌うように、誰かの願いがかなう頃、あの子が泣いてるんですよね。


我々はみんな間接的に戦争やってるんですよね。


いや間接的じゃなかもしれない。


誰かが言ってたみたいに、戦争に始まりも終わりも無いと考えたなら……。


歴史に区切りなんてものは無いという真実を踏まえたら……。


ああ、私等戦争中ですな。


…………。









……ああ石油高いな。122円かよ。



戦争中だからね。







……ナゼニホンジンハフダン和服キナイノデスカ?



戦争中だからです。






……どうして先生は茶髪なのにあたしらは染めちゃいけないんですか?



戦争中だからだよ。







……ねえ、どうして私達わかれなくちゃならないの?



戦争中だからさ。












…………「戦争」か。





使えるじゃぁん。←不謹慎。

君は四苦八苦の八苦を言えるか

生病老死と言いますが


苦諦を悟れと言いますが


ぼかぁただ憂鬱なだけでしてね


苦痛などと言えるような


そんな立派なものは


しょってはおらんのです




ぼかぁ戦争も飢餓も貧困も大災害もリストラも知らんのです


苦痛なぞ知りませんや


ただただ“自己”という病気の所為で


少しばかり憂鬱なだけです


問題と言えば


ちょっとばかし


友達が少なかったりするだけです




ここ半年は病気を治そうという気持ちが強く


というよりも


実際に今までになく気分が良くて


このまま治せるような気になってしまって


かえって“自己”に気を取られてしまっていたようです


ですからその反動とでも言いましょうか


ここにきて憂鬱さんが再び


少しずつ顔を出し始めました




忘れていたのです


大切なのは


風を切って飛ぶ力ではなく


風に乗る力なのです


ええ忘れていたのです


今思い出しました




というわけでしばらくは


「前向き」だとか


「積極的」だとか


「がんばる」だとか


そういう言葉は


必要以上には


口にしないようにしよう


連想しないようにしよう



思ったんです




適当にいきましょう


早急に何とかすべき苦痛などは


特に無いのですから

来電篭犬

稲妻がざんざざんざ降っております。


夏ですな。


何かが起こるような気がしてなりません。


と、しかし、家に篭っておっては犬も棒に当たらないわけです。


奇しくも連休でございます。


明日から土曜まで仕事がありません。


たまたまそういうシフトになりました。


どこか旅行に行く予定があるとかそういうことではないのです。


たまたま連休をいただいてしまったのです。


ああ、この空白を如何にせん。


誰ぞあるか?


誰ぞあるか?


応えてくれい。


ワシをこの真っ白な此処から出してくれい。

日和る

頭の回転が鈍くなっている。

そんな気がする。

学生の頃はもっとキレていたと思う。

とんがってたと思う。

びんびんだったと思う。

神経むき出しで、触れるものみなに、傷ついていた。

と思う。

うん、そうだったそうだった。


いつも何か考えていた。

本もよく読んだ。

己の脳内が遊び場で、友達は言葉だった。

目に見えるものは全てハリボテであり、他者の人格はデータであった。

世界とは理屈であった。

ついでに言えば自分自身は屁理屈だったな。


しかし、今は関係の中で生きている。

仲間との何気ない、おバカな会話の中に、自分を見出せている。

以前は鉛筆みたいにとんがっていた我が霊魂が、筆のようにしんなりと、日々を撫でている。

“芯”が無くなったように、頭が鈍感になっている。

ほどよく、鈍感になっている。

ああなるほど……と、思う。

これが「日和る」ってやつなのだな。

これが、下界の暮らしってやつなのだな。



まあ、これからじっくり、人間やろうと思う。

これから、ちゃんと強い“芯”を作っていけばいいんだと思う。



やれるかな。


やれるさ。


根拠無いけど。

日常

緩やかな曲線を描いて飛んでいった君の抜け毛が


僕の掌で朦々と交錯する


君戸惑うことなかれ


青い牢獄の中で叫んでごらん


矮小たるその身の潔白を


既に原罪は解き放たれていて


神様は乳搾りを楽しんでいる


君は無実だ


見上げる必要は無い


立ち止まっても構わない


ただその欲望を傍らに侍らせ


粛々と砂利道を歩め


ステップ

マツケンサンバⅡを踊らねばならぬ。

我は何を隠そう大衆である。

煮ても焼いても小市民である。

死語を用いりゃパンピーである。

パンピーはあまねくマツケンサンバⅡを踊るべきである。

踊れば阿呆だが踊らぬも阿呆である。

恥ずかしがるのが恥ずかしい。

どちらに行っても恥ずかしい。

同じ恥なら踊れや踊れ。


いやさいやでも踊らにゃならぬ。

仕事とあっては踊らにゃならぬ。

誰もやらねば誰がやる。

誰もやらねば我がやる。

恥ずかしがるのが恥ずかしい。

我がやるぞと声あげりゃ、

あげる前から決まってら。


君やるべしと言われれば、

どうしてですかと問いますわ。

曰くあなたが若いから。

それはあなたが若いから。

またやりたそうに見えたしね。

お人好しにも見えるしね。

兎に角我が踊るのだ。

阿呆のために踊るのだ。

阿呆の我が踊るのだ。

えっちらおっちら踊るのだ。

ああ踊るのだ。


運動会に夏祭り、

何十何百の障害者、

その中心で踊るのだ。

その中心で踊るのだ。

誰が阿呆だ。

我が阿呆だ。

誰ぞ阿呆か。

我こそ阿呆だ。

ステージぐせが付いたのか?

目立ちたがりが目覚めたか?

なぜか踊れる我がいる。

恥を楽しむ我がいる。


恥恥恥の恥の海、

流れ流され、しかし、

生き抜いた。

生き抜いて生き抜いて、そして今、

恥を楽しむ我がいる。

踊れる我がここにいる。

誰が阿呆だ。

我が阿呆だ。

誰ぞ阿呆か。

我こそ阿呆だ。

世俗にまみれて踊ってら。

欲と逃避と無知に根差した、

世俗にまみれて踊ってら。

マツケンサンバを踊ってら。

誰ぞ阿呆か。

ああ、我こそ阿呆だ。

阿呆だ。








そして


地に垂れた

血の味が

する。


めでたい。

昨日の話

メンバー全員寝不足&練習不足という危機的状況の中で、しかし今回のショー、成功したと言えるであろう結果を残した。よかった。


満員御礼の公民館は子ども達の我々を応援する声でいっぱいになった。


感謝である。


誰に?


メンバーに、子ども達に、公民館の職員さんに、企画をしてくださったお母さん達に、忙しい中手伝いに来てくれた妹に、そして限界を超えた働きを見せてくれた我が肉体と精神に。


あれだけ追い詰められた状況から、本当にみんなに喜んでもらえるものを作り出すことができる……いいチームだと思う。改めてメンバーのみんなに尊敬の念を抱いた。


普通ならヒーローやってるなんて恥ずかしくて周りに言えなかったりするのかもしれないけれど、自分は自慢さえできる。



おれはブルーだ!









…やっぱりちょっと恥ずかしいかもしれない。








でもその恥ずかしさも大事だよね。

振り回しているのか振り回されているのか夏

ショー本番 まであと四日である。


『燃えよドラゴン』を教科書に、今日もまたヌンチャクの練習に励む。




ぶん ぱしん ぶん ぱしん ぶん ぱしん ぶん ぱしん




これこそ青春である。


そう、今こそ青春である。



青春時代は何をしていても楽しいものである。


…去年までは何をしてもつまらなかったのに。


毎日もう、じっとしていられない。青春だから。


体を動かしたくてしょうがない。青春だから。


退屈だけが苦痛である。


ああ、今の我に休日などというものは、無い。




ぶん ぱしん ぶん ぱしん ぶん ぱしん ぶん ぱしん




心なしか背筋がぎしぎしいっているのはきっと気のせいである。



アイ アム アイヒマン

台風だとか大雪だとか雷だとか地震だとかいうとワクワクしてしまうのは、まだまだ子どもだからだろうか。

それとも、周囲に山も川も高層ビルも無い所で育ったから、危機感が養われなかったのだろうか。


台風はいつの間にか去っていた。

こっそりと。


予報では丁度帰宅時間にぶつかるはずだったのに。

小雨になってやんの。


なんだつまらない。





丁度二年前の今頃、大嵐で、雷が降るように落ちたことがあった。

ほんとに、どっかんどっかん落ちた。

停電で真っ暗な職員室から外を見やると、校庭の隣の畑に落っこちた。

地響きがした。

ほぼ同時に、突風で給湯室の窓ガラスが割れた。

雨が廊下まで吹き込んで、ぐしゃぐしゃになった。


…天災を“体感”したのは、そのときくらいだろうか。

ただ、そのときも、面白いと思った。スリリングで、楽しかった。



テレビを見ていると毎日のように自然災害にお目にかかる。

が、画面からは怖ろしさは伝わってこない。

逆に、面白いとさえ思う。

だから、中途半端な震度だとか、中途半端なヘクトパスカルだとかを見ると、がっかりしたりする。

もっとすごいの来いよ。と思う。

中途半端な犠牲者数を見ても、物足りなく思ったりする。

きっと、災害で何万人とか死んだりしたら、そういう報道を見たら、興奮するのだと思う。

面白いと思うのだと思う。

119のときみたいに。



ほんと、テレビって怖いと思う。












いや、だから、テレビのせいだけじゃないんじゃないか?

と、思ったわけです。

「なんとかなる」のは、「なんとかする」人がいるからだよね

ショーの衣装作りを手伝いに行ったはずなのに、手伝いもせずに『ダイの大冒険』読んで帰ってきたノブオです。

お土産に缶ビールたくさん貰いました。

衣装は全然出来ていません。

本番まであと六日です。




…………。



……だいじょうぶ。



六日あれば、トベルーラだって覚えられます。



なぜなら、



ポップ=あのころの僕等



なのだから。




なのだから。















……そして今、大人になった我等の魔法を、見るべし。


そうだ、いまこそ31日に向けて、



まーじまじまじーろ。











……あー、だいじょうぶだ。もうだいじょうぶだ。