神なんていない。
公共の場で腹痛に襲われた時だけだ。神に頼みごとをするのは。
こと日本においてはそもそも宗教が流行っていないおかげでおおっぴらにこんなことが言えるのだけど、とにかく神とか仏ほど当てにならないものはない。
ちなみに神に祈った瞬間に治った腹痛なぞないので、このことからも、少なくとも私の味方の神などは存在しないことがわかる。
キチゲという言葉がある。いや、ない。スラングだけれど、基地外ゲージという言葉がある。いや、ない。スラング。
真面目に生きていてストレスがたまると、急に奇声をあげたくなったり、人混みで靴思いっきり飛ばしたくなったり、新品のワイシャツをボタン外さずにブチブチっと脱ぎたくなったり、笑顔で挨拶している部長をヘコヘコ太鼓叩いている私がここで思いっきり殴ったりカミさんの悪口言ったりしたらどうなるんだろう?と言った一種の破壊願望みたいなやつだ。
なぜこんな話をするかというと、帰り道に神社がある。書いて字のごとく神のやしろだ。
そこで今日、1組の老夫婦を見かけた。こう言ってはなんだが、この神社はご利益などなさそうなくらい小さな神社だ。せいぜいガリガリ君が当たるとかだろう。
旦那さんも奥さんも朗らかな顔で、全ての人間に優しそうな、仏のような顔だった。日本で唯一、ベッキーを叩かなかった可能性すらある。
余裕のある朗らかな笑み、リラックスしながらも完璧な所作でお参りをしていた。
出口の鳥居でハジを歩いて振り返って一礼。
惚れ惚れするような参拝だった。
きっとこの夫婦は別にお願い事を叶えてもらおうとか、そんな邪な気持ちなど微塵もなく、食事をするかのような自然さでの信心なのだろう。
重たい宗教観もやらされている感もない。
ここまで無事に幸せに暮らしてこれた事を単純に感謝しているだけなのだろう。
もし神様がいるのだとしたら、この2人にはさらなる幸福を与えるだろう。私が神ならそうする。
年を取っても仲睦まじく、手を繋いで帰っていく2人を見て幸せな気持ちと共にこう思った。
清くて正しき2人。願掛けをしたての2人。
しかし、私がもし本気を出してこの自転車で突っ込んでいってしまえば、この2人にはいとも簡単に不幸になる。
何が言いたいのかというと、結局は人の世は人の胸三寸。神などいないのだ。
叶えたい夢があったり、不幸を避けたりする為に神に祈るのはもうやめにしよう。
自分の力で切り開いていかなければならないのだ。
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追伸
その帰り道、神はいないのでへっちゃらな感じで信号無視をしたら原付に跨った警察に大きなデシベルで注意を受けた。
ああ、そうか、オカミはいるのか。