生きることが怖くなる。
宇宙があってその一部に地球があって、地球の中の、そこの小さな小さな区画の中にわたし達は暮らしている。そうして戸籍と言うものがあって、それによって人間を人間たらしめるべく、全てを管理されているのだ。血縁者、本籍、現住所や名前、犯罪履歴は市役所の犯罪人名簿に明記される。すぐに自分の所在が明らかになる世の中で、わたしはたまに自分が誰なのかわからなくなる。ふと苗字で呼ばれることがあると、一瞬戸惑うように、わたしという人間を構成している様々な要素を疑いたくなる時がある。わたしはどこの誰で、今まで何を感じ、他者にどのような影響を与え、共感しあい生きてきたのか。その全てがわからなくなる。
何もかもが可視化でき、未来を想像しうることも容易になったこの世の中で、わたしは大きく膨れ上がったこの頭でっかちな脳みそにケチをつけたい。経験から学ぶ術を持たず、情報化社会の皮肉な恩恵からか、その小さな枠組みの中で最適解を求めようと必死になる。こうであるからして、こうでなくてはならない。こんな時代に生まれ、生きているのだから、もっと自由を求めていいはずなのに、やれ 後に続けと草の根を踏み分けてくれている足場の良い道を見つけてしまうのだ。
わたしはわたしがわからない。ずっとそうでありたいと思う、わたしのことはわたしの思想の及ぶ、その範疇の枠の外であっていい。
生きることは怖いことでいいのかもしれない。
人間は生を享受し、そして各々の人生に翻弄される。日々泡沫の刹那に幸福や悲哀、憎悪や享楽を感じる。
さ、