人間の感覚や知覚は記憶と密接な関係があるようで、例えば手が痛いとすれば、その「手が痛い」と記憶して置かなければ、再度痛い思いをしてしまうかも知れない。また、どのように痛いのか、なぜ痛めたのか、いつ頃に痛めたのか、何が原因かなど多数の記憶が「手が痛い」という神経信号に関連して発生しているはずである。そして、その記憶を遠隔操作するという被害はないだろうか。

また、何かを意識するという事は、その類の記憶であり、場合によってはそれを忘れないために知覚信号に似たものを逆に体内に発生させるような事があるかも知れない。そのような行為は生体の自己防衛反応のようなものなのだろう。

ご存知のように人間の遠隔操作は記憶や神経信号の操作を行っているので、まず、神経信号を別のものに変換してしまう事があり、例えば、圧迫されて多少血流が悪くなっていた部分を「熱い」と感じるようにしてしう事も可能なようだ。

そして、そのような多岐に渡る記憶のどこかを変換したり、発生していない信号を体内で発生させたりして、別の関連付けをしてしまえば様々な感覚や意識の遠隔操作被害を発生させる事が可能となるのだろう。

それらは、目で見たもの、耳で聞いたもの、体で感じたもの、などの記憶に対しても時系列を含めた遠隔操作による関連付けをすることができるので被害の範囲はさらに広くなる。例えば、重要度、緊急性、不安、不快、など日常生活に於ける多数の項目と関係付けをされている部分を偽の情報と置き換えてしまう事により発生する被害だ。

さて、そのような被害について恒久的に記憶が変わってしまうのだろうか、それとも遠隔から送られている信号が途絶えれば元に戻るのだろうか、あるいは、恒久的に変えてしまうために途切れる事無く続けられているのだろうか。