長男と同じ 市立病院で次男も出産したのですが。

長男の時は、赤ちゃんは元気いっぱいだけど
私は3リットル超えの「出血多量」で、生死をさ迷いました。

次男の時は、寝耳に水な 4800グラムの「超巨大児」だった為
頭がつかえて出てこず、産まれる瞬間に

ポキッ

と音がし、、

私、尾てい骨と恥骨を骨折。そして、出血多量。


赤ちゃんは、つかえていたおでこに
孫悟空のワッカみたいな 真っ赤な痣が
ぐるーっと一周してありました。
白目も真っ赤。

挙げ句、臍の緒が絡んでいた為
皮膚は油粘土のような青みがかった灰色。



もう!診察で一度も巨大児だなんて言われてないし。
赤ちゃんが無事だったからよかったものの、、



赤ちゃんはすぐに元気になりましたが、

私は横になることも、起き上がることも、寝返りも、激痛で全く何もできない体になってしまいました。

赤ちゃんに授乳をする為に、起き上がる。
それだけで、1時間かかりました。泣きながら。

赤ちゃんを抱えさせてもらって、授乳をするも
赤ちゃんをベッドに置くこともできないので

看護師さんが忙しくて来てもらえない時などは、
授乳後も赤ちゃんを抱えたまま身動きとれずに
朝まで過ごしました。

浮腫みが取れて可愛くなっていく赤ちゃんと、
パンパンに浮腫んでいく私。

車椅子に乗るにも1時間かかり、トイレに座るにも1時間、シャワーを浴びる為に服を脱ぐのに1時間、全て絶叫号泣しながらこなしていました。

おならをするだけで、尾てい骨が破壊される痛み。


訴える人は訴えてるよ!この病院は、ひどいよ!と、何人もの友人に言われました。


診察で巨大児(4000グラム以上)と分かった時点で、帝王切開とされる現代で。
超巨大児(4500グラム以上)を診察で気付くことができず、普通分娩をさせ 赤ちゃんを危険にさらした。

確かに、病院を訴える人もいると思います。


でも、私は、無事に産まれてきてくれたことに感謝でいっぱいだったので。
赤ちゃんが健康だったので。
それで、充分でした。

病院からの謝罪は一切ありませんでした。
が、まぁ、どうでもいいのです。

2人共が生きていたことに感謝です。


学びもありました。
こんなに凄まじい痛みを抱えて、もっと、こんなもんじゃない苦しみに苛まれて、毎日を生きている人が世の中にはきっとたくさんいて。

頭では分かっていても、その立場に立たないと
その人々の本当の苦しみを理解することはできないのだということ。
知ったつもりでいることの、おこがましさを。

様々な人々のことを思い、歯を食い縛って
1日1日をこなしていきました。

寝返りができない苦しみ、床擦れの心配、
起き上がる自動ベッドは、寝ている時も 起き上がらせる時も ものすごい痛みが走ること。
体感しながら、ふと老後の自分を見た気がしました。



人間の回復力はすごいもので、4ヶ月後には
歩けるようになっていましたが。 
後遺症は、ちらほらあります。

赤ちゃんはいたって健康で、すくすくと育ち
3歳になりました。
泣くと、孫悟空のワッカが真っ赤に浮かび上がります。




とにもかくにも、出産は命懸けというお話しでした。

本当に、世界中のお母さん、みんなすごいです!!!





↑↑出産後、半年以上、足が浮腫み続けていました。出産前も 出産も 出産後も、お母さんは痛みが続くのです!↑↑







↓↓長男がカサカサ肌なので、こちらを使用中。ついでに、次男も私も使用しています。うっすら香るラベンダーに癒されます♡↓↓