趣味で能面打って20年。今はカルチャーセンターで教えています能面パパです。

今回は趣を変えて本の紹介。
能面でなくて恐れいります。

ほんなら要らん?
いやいやせっかく来たんだからもうちょい読み進めたってください~。

そもそも能面パパが能面教室に行くと聞いたときは意外でした。
それまで古典や能に関心があったふうは全くなく、ただ、手先(だけ)は器用なので、私が子どもの時分は雑誌の付録とかよく作ってもらったり、故障した鉛筆削り修理してもらったりしたので合点がいかなくもありませんでしたが、
それでも能面。なんで?

それで、こんなこと言った記憶あり。
『父ちゃん、やるからには「修善寺物語」の夜叉王をめざしなはれ』

修善寺に住む面作りの名人、夜叉王。
将軍、源頼家の面を依頼され作ったが、何個作っても作っても死相が表れるのだった・・・。

事実、頼家は北条に殺されるので、
夜叉王は自分の面には運命が浮かび上がるんだと喜ぶっていう結末です。

夜叉王めざせって。
タハハ~~これっていま思えば、スキーの靴もはいたことないへっぽこ初心者に大回転しろ、トンバ(金メダリスト)になれ、ジャンプ行け、打倒アホネン(金メダリスト)じゃーって言うてるもんやね。

もちろん、冗談でしたよ。
どうせ続かんだろうと思ったし、ましてや能面教室の先生役をさせてもらうなんて想像だにしなかった。(これは父がいちばん思ってるでしょうが。)


思い出したついでに久しぶりにちゃんと読もうと取り寄せました。


やっぱりおもしろい。
綺堂はうまいわ。

この作品は確か、文学史的には「芸術至上主義」とされていて、つまり自分の芸術のためには家族すら犠牲にしてもかまわないっていうね、芥川の「地獄変」もそうですし、他には♪げいのためなーら、にょうぼもなかすぅーっとかいう歌もそうかな。(ちゃうやろ)

原作は戯曲でして、私はずいぶん昔に歌舞伎で観たことがあります。
夜叉王は中村富十郎さんだったのは覚えてるんだけど、後はさっぱり。
どこで観たかもかすんで思い出せん。

ただ、久しぶりに読み返してみたら、夜叉王よりも娘のかつらが心痛かった。

夜叉王にはかつらとかえでっていう姉妹がいて妹のかえでが従順でつつましいのに、かつらはこんな田舎はやだ、こんな地味くさい仕事もやだ、アタシはもっとキラキラした暮らしがしたいと文句ばっかり。

後にかつらの夢はほんの一瞬だけかなって、無惨に死んでいくんですが、この娘は堅実とか地に足つけてとかじゃなくて、一瞬のキラキラのほうがずっと満たされたんだなあ。

今だってチヤホヤされたい、もてはやされたい、スペックの高い人に見初められて釣り合いたい・・そんなふうに思って行動してるひとは少数派じゃない。

いまほど「承認欲求」を望み、望まれてる時代って過去にあったかな。

て、そんなことを思ったのでした。

「修善寺物語」以外にも収められてる例えば「半七捕物帖」も洒落たストーリーでね、読んで良かったー。

今回はちょっとスピンオフでした。
ここまで読んでくさだってありがとうございます。